Makiko

キャット・ピープルのMakikoのネタバレレビュー・内容・結末

キャット・ピープル(1942年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

古典スリラー。
何者かのただならぬ気配にハラハラさせられ、いよいよワッと脅かされたと思ったら、画面に映るのは恐怖の対象とは別のもの……という「何かが起きそうで起きない」演出のことを本作の監督の名前とバスのシーンから“リュートン・バス“と呼ぶらしい。
(アメリカンホラー特有のビックリ演出“ジャンプスケア“が主流になるのは1980年代から)
表面的な怖がらせエンターテイメントではなく、観客に疑惑を持たせてジワジワと緊張感を味わわせるスタイルの恐怖映画。

イレーナの人物描写には社会的弱者の姿が重なる。精神疾患であったり、性的指向であったり、なんらかの形で社会で生きづらい特性を持ち、マイノリティとして生きる人々。
自分が欲望に正直になったり、精神的に不安定になることで、人や動物を怖がらせたり傷つけてしまう(かもしれない)ことを痛いほどに感じているイレーナという女性を見ていると、むしろ自分を深く見つめることができているという点で誰よりも理知的なのではないかと感じた。
むろん、マイノリティに加害性があるということを言いたいわけではない。むしろ、“健常者“の人間の方が自分の内面に目を向けるという行為をせず、自分が清廉潔白で無害な善人であると信じて図々しく生きているということがよくわかる映画だと思う。
彼女よりもむしろ医学の力で「異常者」を治して「あげる」立場に甘んじてふんぞり返った精神科医の方が、よっぽど独善的で自分の欲望を抑えられない。イレーナの夫も、生存者バイアスに支配され弱者の気持ちに寄り添えない。
やっぱり一番恐ろしいのは人間、という結論に至る。

イレーナの死をもって幕を下ろすラストには、オールドハリウッドにおけるLGBT表象と同じようなものを見た。社会にとって脅威となる存在は、たとえ物語の中でも幸せになってはいけない。殺されなければならない。
Makiko

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