絶妙なお湯加減。というかまあ、ほかの映画にくらべれば明らかにぬるいのだけど、30超えるとこのくらいのがしっくりくる、といいますか。20代の時にもこの映画を借りたことがあったけど、その時は途中で完全に寝た。ダラダラしすぎだろ、ってかんじだった。劇的なことは、画面のなかではほとんど何もおこらない。
後期小津の昭和モダンなカラーで統一されたチープなセット。登場人物たちはその中でボソボソと、一言ふたこと言葉をかわす。ほどんど全員、顔はやつれ、体はとにかくだらしなく、動きも鈍い。逃避としての酒を飲み、ずっとタバコを吸っている。おおよそ成功しそうにないダメ人間が案の定、どんどんダメになっていくお話。
でも、“劇的”だとか”成功”だなんてことは、じつはどうでもいいんだよ。画面や語りからそう言われていることに気づいたあたりから、こちらの見る目がみるみると変わっていってしまう。ああそうか、この人たちの劇的じゃなさは、我々のことでもあるんだな。
「人生最悪のことも、映画になれば美しい」というラインが出てくる小説があって、なるほどなあ、と思うのだけど、それをこの平熱で、96分で語りきっちゃうのってじつはすごいですよ。彼、彼女らのどうしようもなさをユーモアで語ることによって、カウリスマキはそこに”美しさ”のようなものを見いだそうとしている。『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』ってやつですね。