沙那王

ショコラの沙那王のネタバレレビュー・内容・結末

ショコラ(2000年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

公開前にカトリック新聞で紹介された映画。
村長は、自己犠牲こそ信仰の深さであると信じて他人にも強要する。
対して村にやってきたチョコレートを処方する女性は、孤独を抱える村民に寄り添う。
復活祭に向かう四旬節は、本当に辛い。
他人に強制されるからこそ余計に辛い。
自粛、我慢、忍耐だけが信仰であるはずがない。
『私の人生だ。好きに生きさせてくれ。』
と、おばあちゃんが言う。
隣人と喜びをわかちあって生きることが、自身の笑顔の素になってゆく。
親切、思いやり、互いに愛し合うことの大切さ。まるでチョコレートのように、人生は様々な旨味と苦味と深いコクで出来ている。
私は幼少の頃、教会で良い子にしていないと帰宅してから父からフルボッコにされてきた。神の名をかたってなにをするか。自分で選んだんじゃない。幼児洗礼だったから逃げられない。
信仰なんて芽生えるものであって、植え付けられるものではない。宗教は自由のはずだ。
ずっとそう思って教会から逃げることばかりを考えてきた中で、この映画と出会った。
そして司祭の最後の説教にグッと来た。
言わされているのではなく、彼自身の言葉で。
『何を退けるか、ではなく、何を受け入れるか。』
キリストは奇跡を行ったのではなく、弱く悲しく忘れられて打ち捨てられた人々の傍にいた。
そう。村長の傍に、ずっといた。
だからカカオの導きで、村長は自分の悲しみを自覚して向き合う決心がついた。
初聖体を控えた子供たちに混ざって教育を受けるDV夫、笑えてしかたなかった。バカばかし過ぎる😆あんなの教育されたってダメ。愛に目覚めなきゃ気がつけるはずがない。
愛とは何かを問いつづけなければ答えは感じられない。そう。答えは5感+1で「感じる」もの。
チョコレートによって解放されたのは、ばあちゃんの誕生日パーティーに来た人々と、ばあちゃんの娘と村長だけでなく、チョコレートを処方する女性も自由になったんじゃないのかな。

あー!チョコレート食べたいな😋

補足。カトリックの四旬節の断食は、敬虔すぎる信者さんだけが やってます。全員が断食しなきゃいけない訳じゃないから安心してくださいね。それから神の名において「教育」と称した暴力、圧力を加える事は、間違っています。
あと、犬にチョコレートを与えすぎると心臓病になります。ご注意くださいませ。
沙那王

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