きっと、あのお金は最初からプレゼントする分だったんだと思う。
世間知らずで他責主義、自己中心的なシングルマザーと暮らす「ボビー」は1960年の夏に11才になった。子供同士の仲良し3人組で誕生日を祝うが、母親はボビーの心に無関心。
その日、そのアパートの2階に「テッド」が一人で引越してくる。彼は誰かに追われているとボビーに耳打ちし、見張りをお願いするような、ちょっと変わった老人だった。すぐに仲良しとなった二人。嫉妬する母。
ボビーは、ある日テッドの不思議な能力を感じ、本当に追っ手がかかっていることも知り、混乱し、恐怖するが立ち向かう。
なんでもお見通しのテッドの不思議な能力とは。ボビーはテッドの逃避行を見送ることができるのか。
ーーー
SF味付け薄味なサラッとした物語。
この映画のテンポが好きでしたね。よどみなく進み、そしてサラッと終わる。清々しい印象です。
やっぱり、残されるほうが絶対に辛いことを念押しされた気分です。当たり前ですが、念押しされましたね。完全に。私はまだ誰かから残された訳ではありませんが、勝手に寂しくなっちゃいました。
私は、いつ自分自身の子ども時代に別れを告げたんだろう。気づかなかったけど、きっと告げたんだと思う、、、あれ、でも矛盾があって、だったら私はもっと大人になっているはずだからだ。なんなんだ私は。何を告げたんだか。笑。
映画「フライド・グリーン・トマト」好きな私にとって、このパターンは大好物でした。胸がモネモネ。
落ち込んだ日に見たい、サラッとスッキリ、自分回顧のための振り返り洗濯映画です。ちょっとおすすめ。
ーーー
「大人になると心は壊れてしまう」
全くそのとおりです。大人の時間はすでに壊れているんだとも思います。時間が壊れていなければ辻褄が合わない。子供時代の夏休みの長さや記憶の量や心が動いた量を考えれば、時間が一定ならば自身の中でも辻褄が合わない。時間は壊れる。
私がずっと昔、子供だったころ、テッドのように私を大人として扱い、少なくとも同列フラットに会話してくれる大人がいた。そういう人に憧れていた。私も、そういう人間関係を多く築いて行きたいと強く思った映画でした。
ーーー
「酔っ払いにはおごらない」
覚えておきます。