わが愛の記を配信している動画配信サービス

『わが愛の記』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

わが愛の記
動画配信は2025年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

わが愛の記が配信されているサービス一覧

『わが愛の記』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

わが愛の記が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
JAIHO
ザ・シネマメンバーズ
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS

『わが愛の記』に投稿された感想・評価

✔️🔸『わが愛の記』(4.4)🔸『八十八年目の太陽』(3.1)▶️▶️

 返還映画の特集は、作品価値が計れない・知らないのが多いので、過去に観た明らかにその作家の最高傑作だけと確信してるのを2本だけ(続き番組もう1つもか)見直した。1つは、『櫻の國』、そしてこれ『わが~』。『夫婦善哉』や『小島の春』を上回るこの作家の最高傑作と思ってきた作。それらだけでは新発見なく寂しいが、この10数年間で日本でおそらく最も多くの映画を見た1人になった、高齢も鉄人を見掛け、次会場へ走るのへ話が出来、薦められたのも観る。
 『わが~』。ここで云う国家中心、或いは傷痍軍人の、ナチ下空気と一体的あり方を褒めあげ、英中体制下を見下すのは、具体的な現実や概念ではなく、その言葉自体は意味なく、曖昧を拡げ、気取らぬ感覚的に最良価値や徳に繋がるものだろう、精神的に幼い主人公らにとって。国家や社会の、恩給支給や英雄持上げへの甘受、感覚も甘え、そこでの儲けや見てくれ保ちに繋がる、執筆などの労働の認められた形式に嵌まるのではなく、動く身体を信じ、感覚的にも伸ばす努力絶やさず、具体を離れた国家という理想方向に尽くす事。その概念こそ国家主義だと言われればそれまでだが、どんな思想もその綺麗事の部分に、活かす所はある。企業を、労働中の怪我や死により恨む事から、それは嘗ての儲け主義による企業ではない、との進んだ社会の解釈をしてく事。
 カメラもいつになく不安定で安心との間を瞬時段差を揺れ続け、ラストに至っても平坦に至った感触も弱い。只、患者と看護師の延長のままだった、個人の幸せよりもより大きな勤めを果たすつもりからの夫婦間が、互いに出さずも存すを確かめ合った‘愛’をぶつけ合う、仮に肉体は機能せずとも、どういう形であろうと、実体実感の前進を、2人の間と共闘の両方で打ち出す、着く地面と互い存在を忘れない意識にいたる。この場合の国家とは、庇護や擁護、糧への儲けや肉体の遜色ない機能、社会に卑下して生きるか隠とんに甘えるか、といった普通の健常人を基準に、自らの貢献度や実現度を測る事から離れ、越えたものへ。それまでの見返りへの誇り重視の価値測りから、それを二義的な価値観とするものとなってる。それはあくまで個とパートナーの最小最適コミュニティで、内に向け闘い、外はそこからの生き方の現れとする事である。
 同じ場や隣接場での、角度の縦横のドラスティックな切り替え、雨や陽光やの包み射し込み、縦や横のフォロー、前へいつしか寄ってってる、左右パンの人物の走り捉えの軌跡、2人から3人・ときに多くを収める構図、その1人の抜きて角度を変えての複数収め、90°の角度や俯瞰と大L絡めた開けた図、考える横から捉え多いCU顔、不安定と確度を移行し高い何かの予感に向かう。隣の少女を何回も思わず庭で抱え上げる、視覚的危なさ・代理子的な感覚波紋等、そのカット替えはハラハラするものを過度に発してく。時制跳びや回想入れや日記の画面読込みに段差はない。戦意高揚の向かう先はともかく、そのこころ自体の捉えや取り出しは別の意味と今日への働きかけを持つ。通常の物欲や晴れやかさ・喜びを捨てた筈が、と自己を戒めるが、それに徹するは停滞と心の荒廃だけをもたらす。傷痍軍人同士が程度や引けめ抱えで云い争い、夫・個が周囲や他者に尽くす低さからの質実を見詰め直して離婚を切り出す。収まらない感情が、怒声を上げ泣き沈む。この国家観含みの不安定な姿勢が現実には定まらず、生身と感情の手応えが這いだし、夫婦で互いへのぶつかりを実感する事で、現実への貢献や自ら成長が見えてきて、内向を脱する。
 プロット再纏め。瀬戸内海の田舎かの村で、野戦病院の看護師をやっていた長女が、患者だった下半身不随も、学生時作家の夢・軍での国家意識叩き直され・それでも一方郷土に尽くす気持ちも・無視で偉大な母の愛を語る傷痍軍人との、結婚の承諾を貰いに帰省している。妹や弟は感覚的に祝い、子供にも恵まれないが看護師を超えた大きな務めと確認する母らはともかく、一生の問題と難しい顔の父。東京の住宅での新婚生活が始まり、当初の妹の手伝いもなくなると、治療や補助、気持ちも規則正しくなければと日記も始める。前向きな筈の夫婦だが、出来ぬ子の代わりでもあるまいが妻が隣の少女とはしゃぐのへ夫の苛立ち、浮世の派手さ忘れたつもりがついお洒落な傘を買う妻、恩給支給開始や原稿収入や誇り保ってる事への頼りへの罪意識的なもの、亡き母の田舎で結婚などとは離れ静か引きこもり生きるべきではと夫、同じく傷痍の戦友再会での引け目レベルの大小なじり、らが個人や2人の間を割いてく。が、無邪気な自然な飛行機や鳥の上空飛び喜びや、言い過ぎたことへの反省、そして互いにぶつけ合い進む事での真の一体化の必要と求めらが、より高いもの、強いものを作り積み上げてく。
 もともと妙に澄んで妙な熱を内包した作風は、艶かしい『麦笛』や『雁』『波影』へも、また『夫婦善哉』や『小島の春』のような非の打ち所のない名作へも昇華され、『風ふたたび』やこれのようにアンバランスで妙な力をナマでぶつけ揺らいで進む作へも。これは戦争に引っ掛ったとはいえ、『泣虫小僧』『鶯』の初期の粘りある歩み積まれて、進化したもの。
………………………………………………
 サイコウと、薦められた『八十八年~』だが、冒頭辺の黒船らの円谷特撮、当時は東宝独占みたいなズームの多用、出征時の列車の狭め窓からの母を捉えてからの車窓や・進水駆逐艦からの流れる視界、錨り溜まりや人ら動き伝え絡まりもす動的起点押さえ、落下視界のぐるぐる回転、その他歩くのへの様々安定フォローら、のいくつかの映画魅惑力ある。が、大方は巨大ドック・家屋内らの壮大か安定した美術構図を、繋がる魔力より、コンポジションやバランスから上手く配置してく、安定タッチ。
 浦賀の民間大造船所に、駆逐艦建造依頼受けの納期早まり。大東亜の新建設の為に身を粉にする流れと、高い給料での熟練者職工引抜きの町工場の動き。また、従来路線、先受けの商船仕上げ優先の意見も内部から。旋盤の管理長一家の、次男出征戦死、長女の婚約学士と密かに愛し合う熟練工の存在、音楽の為家出の長男の妻子連れての職工の責と血による戻りと・家の経済問題で引抜きに応ず上記熟練工身代りから逆に町工場応援取り付けまで。
台詞が聞き取り辛く、物語を理解することが正直できなかった。日記の文面を映すことについて、やりたいことはわかるが格好よくはないと思う。夫の一挙手一投足を仔細に描いた日記の内容が神経症的であることが分かり易く、冒頭に「女性たちに捧ぐ(?)」とあったように戦争の中での女の視点を描いている点ではよかった。