Kamiyo

戦場にかける橋のKamiyoのレビュー・感想・評価

戦場にかける橋(1957年製作の映画)
3.7
1957年 ”戦場にかける橋” 
監督は「アラビアのロレンス」のデビット・リーン
原作は「猿の惑星」の ピエール・ブール
第30回アカデミー賞では作品賞をはじめ7部門を受賞 名作です

第二次大戦中のビルマータイ国境に日本軍が建設した泰緬(タイメン)鉄道建設にまつわる日本軍人と連合軍捕虜との人間模様をメインテーマにしています。
W・ホールデンが米軍のシアーズ中佐を演じていますが
この映画の事実上の主人公は、日本軍の捕虜になったイギリス軍将校ニコルソン大佐(アレック・ギネス)と捕虜収容所所長斉藤大佐(早川雪洲)の日本軍大佐、それぞれの生き様のぶつかり合いを、クワイ河鉄道橋梁建設を絡めて描いた。
ニコルソン大佐と斉藤大佐、双方のプライドがぶつかり合った末に友情のようなものが芽生え、お互い協力し合って、見事橋梁は完成しましたが、イギリス軍の破壊工作によって、それらが脆くも吹き飛んでしまいました…。虚しい…。
ニコルソン大佐が死ぬ間際に発する「私は何のために…」という言葉がなんとも印象的だ。いや、でも本当に彼が言うように、この映画で描かれた戦場での橋の建設は一体何のためだったのか、果てしなく疑問に残る内容であったことは間違いない

音楽はこの映画の長所の一つ、このボギ-大佐マーチの口笛のオリジナル版が好きです、戦場の音楽というよりも運動会でよく聞いて
遠足でも行っている様な爽やかで明るく心地よい行進曲である。

原作 ピエール・ブールは日本軍の捕虜だった。
「猿の惑星」の原作者でもあるが、サルは日本人との解釈もある。
ピエール・ブールまず軍歴が判然としない。
戦時中の経歴など詳細な裏がとれないのは当たり前。
彼は話すたびに適当な尾ひれをつけるので話の整合性がとれないのだ。
何にしても仏領インドシナ辺りで活動した人物らしいので、
クワイ河橋の架橋には何ら関与していないであろう。関与していたら「戦場にかける橋」のような事実を無視した話が書けるはずはない

「戦場にかける橋」が戦争の虚しさを伝える名作だと認めつつ
一人の日本人としてこの映画を見た場合、納得出来ない部分が多いのも否定出来ない事実です。
斎藤大佐が好意的に描かれているとはいえ、この映画に登場する日本人・日本軍全体のイメージは欧米キリスト文明に比べ明らかに劣等的に描写されています。
更に幾つかの点で明らかに歴史的事実と異なる部分があります。
この映画では日本軍工兵の架橋技術は稚拙であり連合軍捕虜の技術の方が数段優れていたとの描き方がされています。
最終的には日本軍は連合軍捕虜に橋の設計を委ねるとの展開になっていますが、これは歴史的事実を大きく歪曲するものです。
実際の泰面鉄道の設計・施工は全て日本軍の工兵が担当し連合軍捕虜は単純労働を担当していました。
現在でも戦後75年経ちましたがミャンマーでは利用しています
また観光用としても 日本人技術の高さを証明しています。

映画のテーマは決して反日的ではないのですが日本より欧米文明の方が優越である、との価値観が根底にあることは誰の目にも明らかです。
この映画を表面的に見てしまうと太平洋戦争の一面が正しく読み取れないとも感じてしまうのです。
「戦場にかける橋」が映画史の名作である事は認めつつ、素直に評価は出来ないのですが・・・・
(※雑談)泰緬鉄道建設に従事したのは日本軍1万、連合軍捕虜5万5千、現地労働者7万、事故やマラリア、コレラにより犠牲者の推定数は4万。
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