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巴里のアメリカ人のひでGのレビュー・感想・評価

巴里のアメリカ人(1951年製作の映画)
3.4
「ララランド」に影響を与えたと言われている王道ミュージカル。
「雨に唄えば」のジーン・ケリー主演。

「影響を与えた」の僕なりの検証についてはややネタバレも含めて後述したい。

まずなんといってもというか、この映画の全てだと思うけど、
ジーン・ケリーでしょうね!

僕はダンスについては全く無知だけど、
彼の踊りは好きだなあ。

まず、タップの軽快さ、
あの軽やかな動きと小ギザミなテンポで、
ありきたりな言い方だけど、ハッピーな気分になれる。

「雨に唄えば」の雨中のダンスシーンもそうだったけど、ガニ股になって大きくステップするダンスがあるよね。
本作でも子供達とテーマ曲を踊るシーンとか随所に見られるけど、あの動きもまた楽し!

ジーン・ケリーは絵描きを目指してパリに来ているアメリカ人。
正直、雰囲気が絵描きに見えないとの、この人物がそんなに魅力的じゃないので、
彼の代表作「雨に唄えば」に比べて、物語的深みには欠ける。まあ、普通のミュージカルの域で終わっている。

しかし、ここからが「ララランド」への影響の部分への考察。

ちょっとネタバレあり。





「影響を与える」という言葉を狭義に解せば、「真似をする」「似せる」「パロディ」みたいになるだろう。

この映画のダンスシーンに「ララランド」は、確かに、横並びに原色服の人物のダンスやパーティシーンなどがよく「似てる」

しかし、「影響を与える」という言葉をもう少し広く取ると、

「元をさらによくする」となるのだと思う。

この映画を「普通の王道ミュージカル」と称したが、明らかに他の作品と違う場面がある。

そう、ラスト15分の特殊なセットでコンテンポラリーダンスのような、現実離れしたダンスシーンが続く場面。一場面限定で、そういう効果を使うことはあるんだろうが、これはかなり長い。

失恋したジーン・ケリーの内面を具現化して見せている。

この15分は、多分「ララランド」のあのラストのダンスシーンだと思う。

「ララランド」でも幻想的なセットで、ダンスシーンがずっと続く。そう、あれ。

しかし、「似ている」「似せた」のだと思うが、
両者の出来にはかなり開きがある。

本家が単に主人公の「失恋しました」の感情を単色で描いたのに過ぎないのに対して、
「影響を受けた側」の「ララランド」のこのシーンは、まあ見事!
物語をここで全てまとめ上げ、あの映画史に残るラストへと誘う。

本家がこの15分のシーンの後、何とも不自然なハッピーエンドを取るのに対して、
「ララランド」は、もうお分かりですよね🤗

本作「巴里のアメリカ人」は、最終盤にとても抽象的、幻想的なシーンを挿入という新たなチャレンジをしながら、
「ハッピーエンドで締める」というハリウッドの悪しき?伝統を崩そうとはしなかった。

「ララランド」は、それをも「利用」?したのだと思う。

王や長嶋や張本がいなければ、ダルビッシュや大谷は生まれなかったように、

この「巴里のアメリカ人」がなければ、
「ララランド」はできなかった。

そうやって受け継がれていく伝統。
そんな思いで、この映画を楽しんだのです。古典ミュージカル
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