Ryo

8 1/2のRyoのレビュー・感想・評価

8 1/2(1963年製作の映画)
4.7
混乱や悩みがあっていいそれが人生だから、ぐちゃぐちゃなのが祭りだから。
毎日を生きてたら夢に逃げたくなることだってある。しかしこの現実、この大混乱状態こそが人生でそれこそがお祭りなんだ。だから私は混乱や悩みをを恐れない。



現実と妄想が入り混じり今は現実なのか夢なのかわからない構図はまさにこの映画が最初です。フェリーニはわざと難解にさせてます。わかりやすい物語を見るんだったら本でも読んどけこれは映画だと言ってるようです。

なにを作ればいいかわからなかった当時の映画界頂点に立ってたフェリーニはそのまま自分の事を描きました。なので劇中にはいくつも実話が盛り込まれ主人公の言葉や他の役の言葉はフェリーニ自身の言葉です。

映画はオープニングから混乱の極みにあります。
夢から覚めるオープニングに続いて、突然ワーグナー(ヴァルキューレの騎行)とロッシーニ(セビリアの理髪師:序曲)とニーノ・ロータのあのトラックがぶつ切りにリレーするのです。
彼は、現実に悩まされ子供の頃娼婦と踊ったことを回想したり、女達とハーレムになる妄想をして現実逃避をします。しかし、最終的には救世主のはずだったクラウディアも頼りにならずついに精神が崩壊寸前になったグイドはこめかみに銃を突きつけ自殺をする妄想をするのです。ここで妄想の中でグイドは死にますが、彼は最後のシーンで復活しています。そこまで追い詰められていたのに、拡声器を持って大円団を組む演者に支持しているのです。つまり、グイド=フェリーニは作品の質に拘らず、製作される商業主義が蔓延した映画界に嫌気がさしながらも映画を作り続けることを選択したのです。
「テーマが無いと言われようが中途半端と言われようが構わない。今の混乱状態が私自身でそんな私自身の映画を作りたいのだ。だから恐れない。」そんなメッセージは色々な映画監督に勇気を与えたことでしょう。

彼は停滞することによって他人の味方や人生観を変えることに成功しました。

この映画に登場する作家(批評家)は主人公の映画監督グイード(つまりフェリーニ)に「あんたの映画は混乱している。主張がはっきりしない。宗教や政治的な立場もどっちつかずでフラフラしている」と批判します。これに対して主人公(つまりフェリーニ)は「私は映画を通して主張したいことはない」と言ってしまいます。「でも、表現したいんだ」とも言います。
 何を?
主人公は「たしかにこの映画は混乱している。でも、この混乱は、私自身だ」と言います。つまり表現したいのは自分自身だと。フェリーニはこの映画で優柔不断で女にだらしなくてフラフラして幼稚でダメな自分をさらけ出します。でも、それが自分だ。それも人間だ、と。
「人間はこうあるべきだ」と言ってのけるのは、宗教家や思想家、道徳家です。
 でも、芸術は道徳の授業じゃない。ダメな部分もひっくるめて「どうしようもなくメチャクチャで馬鹿でダメだけど、これが人間だ」と泣いて怒って笑って全部まひっくるめて愛おしく抱きしめます。だから最後にフェリーニは「人生は祭りだ」と開き直ってみせるのです。道化師の音楽に合わせて。
この映画のテーマとはまさに、そういうことです。

さらにラストの大団円には彼に関わった全ての人が蘇り、ともに歌い、踊ります。円になって。敵も味方も。みんなで映画に出る。全ての人はかけがえの無い人生の円の一部なのかもしれません。フェリーニ監督はそうおっしゃっているようです。

◾️最初のシーン
車の中で息詰まり、キリストのように両手を広げ空に飛んで生きます。これは「俺は神だ。映画を作る監督なんだ」。しかし足元を見ると紐がくくりつけられておりマネージャーが足を引っ張ってます。自由に飛び立とうとしてる彼を引きづりおろします。
その後の批評家のコメントや、ぐちゃぐちゃにして捨てた批評が書かれたメモをまたポケットにしまう所から最初はこの主人公は非常に批評家の目などを気にしていたものとわかります。

ちなみにこの批評家はモデルがいて実際にフェリーニを苦しめていたそうです。面白いことにその批評家の名前はグィドです。

■タイトルの意味
この作品が、フェリーニの8作目で、処女作「寄席の脚光」が、アルベルト・ラットゥアーダと共同監督し、オムニバス映画2本、これを2分の1とし今まで7 1/2本、今作で8 1/2になるためこれまでフェリーニが映画において歩んできた道程と、現在を単的に表現したものなのです。

◾️ラストシーン
映画、女関係、宗教的、全てにおいて混乱しぐちゃぐちゃになった彼は結論を出します。「人生は祭りだ。共に過ごそう」人生は混乱するものであるがそれを全部ひっくるめて祭りなんだ。だからそんなありのままの僕(フェリーニ自身)と共に過ごしてくれないかと奥さんに伝えます。

そして最後はグイドの少年時代が出てきていつまでも子供のままを表してます。
Ryo

Ryo