Kaho

晩春のKahoのレビュー・感想・評価

晩春(1949年製作の映画)
-
ノリコが結婚に行き遅れた理由は戦中無理に働いて体を壊したからと何度か出てきたが、戦争の悲惨さなどは全くと言っていいほどその世界観に持ち寄らずとも、その影響はあらゆるところに零れ落ちる。その視点から少し考えてみるとまた面白い。
結婚(=当時の価値観で言えば幸せに生きること)を半ば諦めた娘(=つまり敗戦し時代は変われど、それまでの価値観や生き方みたいなものは取り残される。人はそう簡単には変われない?変えられたくない?)あるいは、結婚に嫌悪感を抱き(汚らしいと)抵抗する娘(=新たな時代、戦後社会の生き方を受け入れきれない当時の人々の心情か)でもちょっとずつ日常の中で成長し、結婚という新たな生き方に一歩踏み出すノリコ。父は何度も彼女に「幸せ」になるよう言う(=戦争を乗り越え、戦後社会という新しい世界で幸せに生きてみせる(生きてみせよ)という想い)
日常会話の中でふと現れるユーモアと、親子の情という普遍的な愛を描くホームドラマの中に、そんな強い意志が覗く深い映画とも見えた。

旅館でこれから離れ離れになる父娘が共に横になる場面、その後のポツリと置かれた壺のショット。そこにはこれまで支え合ってきた二人が離れ離れになる寂しさとともに、唯一人聳え立つ父親らしい堂々たる威厳も感じられて、寂しさと威厳が共存するその姿には彼の内側にある強がりとやさしさも垣間見える。そんな父親の状況をたった一つのショットで映しとるすんごい画だと思った。

終盤リンゴの皮むきから思ったこと。
ノリコの世話が無くなり父ひとりで食べる支度をすること。その寂しさと、無事娘が自分の幸せのために生きていけることになった安堵感が混じる。笠智衆の表情は泣いているようにも笑っているようにも見えた。
娘が結婚すると、リンゴの皮のようにずっと長く続いていた父娘の関係が皮が切れるように突然、プツンと途絶えてしまうこと。そのリンゴはほとんどむき終わっており、二人は共にいれるだけの時間を十分に過ごしてきたこと。
Kaho

Kaho