i

横道世之介のiのレビュー・感想・評価

横道世之介(2013年製作の映画)
2.9
横道世之介。

キャッチコピーは「出会えたことが、うれしくて、可笑しくて、そして、寂しい―。」

世之介(高良健吾)を、ふと思い出した加藤(綾野剛)がパートナー(眞島秀和)に言った台詞「今思うと、アイツに会ったってことだけで、オマエより大分得してる気がするよ」。自分にもそう思える人がいる。彼と出会ったのは、小学生4年生の春。同時期に地元のスポーツ少年団(以下、スポ少)に入団した3人の内の1人だった。それまで同じ小学校の同学年でありながら、顔すら見たない関係だったが、スポ少内の他の同学年は、既にベンチ入りや試合に出ていたこともあり、ボールすら触ったことのない素人同士の僕たちはすぐさま仲良くなった。大会の遠征や練習試合は、僕たちとって遠足でしかなく、会場までの車中は同時期入団の3人のみで大はしゃぎ。チームメイトが試合にむけてウォーミングアップをしている時間は冒険の時間。森などに囲まれている試合会場は冒険のし甲斐があった。皆が試合後に負けた悔しさから泣いている時間も大声で笑いながら遊んでいた。今思うとよく怒られなかったなと思う。クラスは違うものの、小中と同じ学校の同じ部活で、土日は高頻度で一緒だった。僕には姉、彼には兄がいたが、まるで兄弟の様だったと思う。共に過ごした沢山の時間を、今でも良く思い出しては、1人笑っている。しかし彼は死んだ。僕らが、19歳になる年だった。彼は高校卒業後に上京した。僕は地元に残った。だが、1年と数ヶ月が過ぎた頃だっただろうか。「仕事がツライ」と地元に戻ってきたのだ。僕は彼が戻ってきて、とても嬉しかった。高校が別々だったため、その間に出会った僕の友人を数多く紹介し、朝まで遊ぶことも多かった。僕の誕生日も大人数で湖へ行き、お祝いしてもらった。ずっとずっとこの楽しい時間が続くのだろうと思っていた。彼がどんな大人になるのかを本気で楽しみにしていたし、彼に子供が出来たら可愛くて仕方がないだろうと思っていた。でも何も見れなかった。一緒に成人式へ出席することも出来なかったし、お酒を飲みながら今後について語らうことも出来なかった。そして彼が悩んでいることさえ、気付くことが出来なかった。彼とは沢山の思い出がある。笑い話は尽きないし、愛おしいエピソードも数多くある。彼は誰からも愛された。ヤンチャで小悪党だったが、どこか憎めない。部活の顧問や先輩にはよく怒られていたが、悪口はただの一度も聞いたことがない。そんな彼の葬式には多くの人が訪れた。そもそも大きな斎場ではなかったが、人が溢れ、とても入りきらなかった。そして多くの人が泣いていた。時には笑ったが、その目には涙が溢れていた。親族はきっと驚いたであろう。彼はこんなにも愛されていたのかと。僕は当然のことだと思ったが、その光景にはやはり少し驚いたし、嬉しくもあった。彼が本当に愛されていたと分かる1つの形だと思ったから。だが、やはり1番は寂しかった。悔しさも勿論あったが、彼にはどうやっても、もう会えないのだと考えると、悲しくて、寂しかった。この冷たい身体は今後一切動くことなく、不細工で芋虫のような指も、先日まで見せびらかしていた板チョコのような腹筋も焼かれて無くなってしまい、共にイタズラしたり、イタズラされたり、ふざけたりて笑ったり、2人しか知らない出来事を語ったり、もう何も出来ないんだなと、そう考えると、とても寂しかったのだ。僕は彼より愛された人を知らない。いつか僕が知らない彼についての話を色んな人から聞きたい。その人たちが知らない彼についての話をしたい。そして皆で笑い合いたい。

P.S.一周忌ではこんなことがあった。僕らにお焼香の順番が回ってたので、正座から立ち上がった。すると隣の友人が派手に転んだ。産まれたての子鹿のような姿で「足が痺れた」と言っていた。明らかに笑ってはいけないタイミングだと思ったが、多くの人が笑っていたので、なんとか乗り切れた。その後の会食で、彼の里親の挨拶があった。今まで何度か接したことのある僕は、彼女に対して「厳格な人」というイメージを抱いていた。「今日お焼香の際にあんなことが、、、」あ、これは怒られるかも知れないなと覚悟したが、続いた言葉は「あの笑いは◯◯がもたらした笑いだと思います。◯◯らしいなと。こんなことってあるんだなと思いました」だった。当たり前かも知れないが、「彼は里親にも愛されていたのだ」と知ると、心が少し晴れやかな気分になった気がした。

撮影 近藤龍人
i

i