現実的な荒唐無稽さ
ドラえもんに「バイバイン」という道具が出てきて、それを一液垂らした
栗まんじゅうが5分ごとに倍になっていくという話があります。
最後には食べきれなくなって、
「宇宙のかなたへ送るしかしょうがない。」と結局はロケットで打ち上げてしまうというすごいオチ。
根本的に何の解決にもなっていないのに、子供心にそれが最高の解決法だと思っていました。
いざ大人になってみて解決出来ない問題をいっぱい目にし、
あぁ、ドラえもんは苦肉の策で宇宙にまんじゅうを捨てたんだなぁとようやく理解ができました。
ドラえもんが宇宙にまんじゅうを捨てたのとは真逆で、
いま、人類はあるものを地中深くに埋めてしまおうと計画しています。
壮大でかつ現実的なそのプロジェクトは、人類が行う最大級の偉業となるかもしれない。
でもそれは誰にも誇ることのできない悲しき偉業。
核廃棄物処理に世界で始めて先手を打つフィンランドの最終処分場「オンカロ」にスポットを当てた、
何やらロマン漂うドキュメンタリー。
冒頭、監督のマイケル・マドセン自らが火のついた紙切れをつまんで、その光にか細く照らされながらこちらに語りかけてくるシーンがとても印象的でした。
その光は僕ら人類が手にした禁断の火を暗示している。
原子力発電によって莫大なエネルギーを手にしたけれど、その火があまりにも巨大すぎたために、人類には想像もし得なかった禍が残りました。
そう、我が国でも未だに解決策の見えない原子力発電の残りカス、核廃棄物。
無害になるまでに100000年も要すると試算されたその異物が、
遠い未来の人類にとってはたいへん危険な遺物となる。
彼らから放射性物質の危険性を引き離す事がオンカロ建設の目的なんです。
天文学的な保管期間を想定して地下4000mの位置に堅牢な構造物を作り、そこにフィンランド中の廃棄物を22世紀までに封印するという壮大な計画。
その建物は何よりも近代的で冷たく無機質で、
そして、圧を感じるほどに荘厳です。
ですから、建造目的を抜きにすれば有史以来の偉業と手放しでいいたいレベル。
そのかつてない規模の建造物に人類の末裔が興味を抱いて侵入を試みないように、ピラミッドなど未だに建造目的のはっきりしない構造物を引き合いにだし、どのような警告が効果的かを議論する。
石碑を建てたり、資料室みたいなものを作ったり、
言葉ではなくマークで伝えたり、
威圧するような刺々しいオブジェを設置したり、
ムンクの叫びを利用するという案もありました。
何度も言うようだけど、この目的を考えたらつくづく滑稽なんですよね。
でも、そうやって10万年後の世界を想像するというのは何やら妙にロマンがあると思えてしまうから不思議なもんです。
そう、オンカロの建設って僕は人類の一歩じゃないかと思うんです。
原発に反対するだけのスタンスじゃ今抱えている問題にいつまでも着手はできません。
荒唐無稽に聞こえるこのプロジェクトって裏を返せば、どうしようもなく半減期の長い危険物質を産み出してしまったという紛れもない事実を人類に突き付けている訳でしょ。
そこまでしなければ、処理ができないような手には負えない代物を作ってしまった。
だから、一見あほくさいと思えてしまうオンカロも、
問題解決に対して真摯に現実的に向き合っているという気がしてしまうんです。
彼らはそんな自らの決定を、
「不確実性のもとでの決定」と呼びます。
それは、もはや常識的な人間の時間感覚では対処しきれない次世代の問題に向き合うための合言葉。
"隠し場所"を意味するオンカロが100000年の歳月を持ちこたえる事が出来ると自信を持ちながらも、
「不確実性のもとでの決定」という合言葉には「100000年後のことなんて知るよしもない。」という本音が見え隠れする。
それでもやらなくてはしょうがない。
ドラえもんと同じような気持ちを抱きながら、
フィンランドでは今もオンカロの建設が着々と進められています。
それが最高の解決法なのかと大人になった僕は考えてしまうけれど、
原発大国の日本に生きる者としてエールを送らない訳にはいかない。
日本はこれからどうするんだろうな。
そんな、不安が残ってしまったドキュメンタリー映画。
そうそう、宇宙に送られた栗まんじゅう。
20時間もすれば、バイバインの効果で宇宙を埋め尽くす程に増殖するみたい。
ドラえもんの「不確実性のもとでの決定」はどうやら失敗だったようですね。