ひでとし

(500)日のサマーのひでとしのネタバレレビュー・内容・結末

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

ふと思い出す事がいろいろとあったので鑑賞
「今日9/6」は不思議と「前向きな感傷的」になれる日なのでちょうどよろしい。


この映画はラブストーリーでは無いと冒頭で語られてるけど、やはりそれでいうとラブストーリーでは無かったのだろうと思う。


この手の映画は大体、どちらかに自己を寄せて見がちだけど、観ながらいろいろと思うと自分はトムでありサマーでもあると気が付いた。

自身、数年前はまごう事なきトムだった。盲目的に相手に惚れ込んで毎日が幸せだったが、自分の思いを押し付けてしまった経験があるのを思い出した。
幼稚だったと反省すべき点だったな。

その頃はサマーの考えや発言の意味すらわからず、なんなら否定さえしたいと思ってた。

けれども人間、考えは変わるもので今となってはサマーの様な考えもわかるし、なんなら共感すら出来る気がする。

ちなみに公園でペニスと大声で叫ぶシーン
あれはサマーが気狂いになったわけじゃ無くて、男性特有の奴だと思って笑ってしまった
カフェのシーンで、サマーはシドだって話をしていたから性別は女性でもそういった感性を持っている事を表してるシーンなのかもしれない。


本当に人は十人十色だと思った。
もういい大人になったからわかるけど、真剣な付き合いは嫌ってサマーの発言もそこまで意味不明にも感じない。

例えば性的に魅力を感じればセックスがしたいと思うことはあるし、人間なんだから性欲があってなんらおかしく無い。
もし異性として見てなくてもその場の話題が盛り上がればもっと話したいと思うかもしれない。
デートしたいと思うかもしれない。
ただ、その人と「付き合って結婚」するかどうかは別の話。
デートをするのは楽しいけど、毎日家で一緒にいるのは疲れるかもしれない。
セックスはしたいけど、相手の趣味なんかは全く気が合わなくて話も面白いと感じないかも知れない。
そうかと思えば性的に魅力を感じなくても、話が面白くなくても、一緒に居てもいいかなって思えるならそれは「付き合って結婚」しても良いパートナーになるかも知れない。

作中でトムがデートもしてセックスもしてこれで付き合って無いってどういう事だって声を荒げるシーンがあるけど、サマーからすると「友達」の範疇なのかもしれない。
トムからしたら「恋人」でもサマーからすると「友達」
その時点で冒頭であったように恋人達の物語では無かったのだと自身では理解した。


人の気持ちに正解は無いから彼等が本当はどういう心だったのかは知る術は無いけど、サマーはサマーなりにトムに対して真摯に向き合ってると感じた。
きちんと「好き」だったはずだし、「楽しかった」んだと思う。

その気持ちがある上でなら「真剣な付き合い」では無くても一緒にいる時間は幸せなものだろうと思うし。


ただ、ラストシーンであなたは運命の人では無かったとトムに言うシーンがあるけど、そこまでトムに気をかけるのは何故だろう。

なんの気なしに?本当はトムに「卒業」のように奪って欲しかった?
サマーは友人としてトムに最後まで真摯に向き合いたかっただけ?
作中で思いが語られない以上は受け手の解釈に委ねられるので、その点は映画としては好きな部分だった。



恋や愛は疲れる。うまく行っていたり、双方が同じくらいの思いで釣り合いが取れてる時はあまり感じないけど、現実問題トムやサマーのように感じ方や考え方は人それぞれ。

結局「今のところ」どれだけ相手の事を尊重し、受け入れて貰い、すり合わせをしつつ、お互いが心地よいと感じることが恋や愛が失われずにいくのではないか。とこの映画を観て自分の中でも考えが整理出来た。


恋する楽しさも、失恋の苦しさも嫌というほど味わってきたが、どちらかと言えば何も無いよりかは自分は誰かを好きでいる事の方が
500日目に向かうのかそれとも1日目になるのかはわからないが、楽しいと感じる。
トムのように手痛くやられてしまう事が多いかも知れないが、その時は友達にでも愚痴ってしまおう。

両思いでも片思いでもサマー側でもトム側でも誰かの事を想う事自体、自分は素敵だなって感じた。