ダンクシー

(500)日のサマーのダンクシーのレビュー・感想・評価

(500)日のサマー(2009年製作の映画)
3.8
「愛は絵空事よ」
「君は間違ってる」
「いいわ。どこが間違ってるの?」
「愛を感じれば分かる」
「そこが意見の相違ね」

うーわ、ラスト超好きだわぁ!!そう繋がるか〜!お洒落すぎて心臓ぶち抜かれました。。

運命とは一体何なのか。運命を信じているトムと信じていないサマー。この2人の視点を通じて描かれる恋模様。2人の500日間が、時系列がバラバラになって描かれる。これが非常に良く出来ている。対比構造にしたり強調したり高低差をつけたり、構成のバランスがとても巧い。もし正しい時系列で描いていたら、とてもつまらない失恋ストーリーで鑑賞者に何も考えさせない記憶に残らないクソ映画になっていた事だろう。
でも、いやらしいのが、うまいくらいにサマーの心理描写を省いていること。だからサマーがただのビッチに見えるだろうし、観てる側もトム同様に理解が出来なくなる。でも、しっかり要素要素で見ていくと非常に面白い発見がある。

マーク・ウェブの映画監督デビュー作。ミュージックビデオの監督をしていた経験を活かしてアニメーションやミュージカルの演出を組み込んでいた。あんまり必要性を感じない場面とかしつこいなぁって感じることもありましたが、まぁそれも味という事にします...。

物語についてですが、あくまでもトムからみた恋愛観で、女性に対する理解の難しさが共感に近い形で訴えかけるような仕上がりの作品になっているが、サマー目線からも考え方の変化や感性の違いに対する悩み葛藤が伝わるようにもなっている。

「日常生活はごく平凡なものだ。1日が始まって終わる。思い出に残る出来事はほとんどない。毎日が淡々と過ぎていく」

サマーはトムと関わるうちに運命を信じるようになっていく。トムの考えに近づいていってるんですよね。だからこそ変わってしまった自分と変わる前の自分との間で悩んでしまっていた。
サマーが唯一号泣したシーンがある。それは、映画館で"卒業"を観るシーン。亀裂が入った決定的な場面。あくまでも個人的な解釈にはなりますが、卒業のラストのように、好きだから奪いさるくらいの気持ちを求めていたのではないだろうか。トムと出会って変わる前のサマーなら、「いくら運命の恋でも、結局現実に戻ると不安になるんだ」くらいの気持ちで感動なんてしなかったと思う。でも、泣いていた。という事は、運命の恋というものを信じてしまっていた。でも、トムとは運命の恋が出来ないと気づいてしまう。卒業を観て、自分がトムと関わる中で無意識の内に運命の恋をしたがっていたことに気づく。運命の相手をずっと待っていたからこその涙。全てが分かってしまった。トムとは運命の恋が出来ないのだと。

「彼は理解した。奇跡は起こらないのだ。運命の力など存在しないのだ。今こそ彼はそう確信した」

時間が経ち、2人は再開する。雰囲気良く過ごし、もしかしたらと期待を抱くトム。そんなトムをサマーは自身の結婚式に誘う。ここで"卒業"のラストが効いてくる。サマーは、もしかしたらトムが運命の相手かもしれないと希望を抱き期待していた。だから結婚式に誘い、卒業のように自分をさらって連れて行ってくれるかもしれないと。運命を信じていた。しかし結果はどうだったか?サマーが結婚することを知ったトムは、ショックで逃げ出してしまう。ここで、運命を信じていたトムと運命を信じていなかったサマーの対比が明確になる。2人の考えは逆転し、サマーが運命を信じトムが運命を信じなくなっていた。ここではトムの理想と現実の違いが強調され描かれていましたが、実は裏ではサマーの理想と現実の違いも組み込まれていた。

トムは運命を信じない現実思考の人間になる。そうして夢をひたすらに追いかけることで自分を守り、失恋から立ち直った。
そして、とある女性と出会う。その時には運命なんて信じていなかったが、改めて確かめるために声をかけ誘う。運命の恋は存在せず、恋とは自分から作り始めるものだと。やはりそうだと気づいた矢先、運命の恋と出会ってしまう。今までの全てがこの時のための布石であると確信するくらいの。


僕も、運命の恋をしたいものです。。いつか、いつかね、きっと...
ダンクシー

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