ドラミネーター

さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-のドラミネーターのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

 〈これは「続編」なのか?〉

 私は『銀河鉄道999』のアニメを観たことがないので、元々本作のストーリーが原作に在る、即ち、前作の焼き直しなどではなく、歴とした由緒正しいストーリーテリングであるのかもしれないが、劇場作品しか観ていない私にはどうにも納得できない。開始早々地球では激しい戦争が繰り広げらており、前作の冒険が無価値だったということを突きつけられる。『ターミネーター : ニュー・フェイト』と同じく、これはやはり「続編」とは呼び難い。これは地続きの続編よりも「焼き直し」「リメイク」「リブート」といった言葉の方がしっくりくる。


 〈前作とほぼ同じストーリーテリング〉

①メタルメナの存在と鉄郎のために身を投げる行為
②窮地に駆けつけるエメラルダスとハーロック
③メーテルが実は敵だった。と見せかけて、プロメシュームを裏切る

他にも細かい点を挙げだすとキリがないが、悉く同じ構図である。
また、今作のメタルメナと前作のクレアは似た立ち位置ではあるものの、そのキャラの立ち方は似ても似つかない。メタルメナの「メーテルの体が欲しい」という不穏な企みを見せはするものの、そのバックボーンを特に掘り下げることもなく、ラストの心変わりはあまりに急展開すぎる。


 〈前作とは似ても似つかない〉

 メーテルの「私は青春の幻影」という台詞は確かにその通りで、素敵である。だがしかし、このことは既に前作で描き、観客は感じていることである。
また、「青春の幻影」というのは「鉄郎から見たメーテル」がそうなのであって、メーテル自身が「私はあなたの青春の幻影です!」と言葉として表出する。解釈の余地もなくきっぱりと言い切るのはいかがなものか。
前作は一貫して鉄郎目線で描かれていたが、本作は「メーテルは鉄郎の青春の幻影」とは謳いつつも、鉄郎の前でメーテルが泣くシーンは実にメーテルの主観性が感じられる。前作ではミステリアスでどこか冷たい雰囲気がありつつも、母のような暖かみのような言い知れぬ魅力があったが、本作はメーテルをメーテル視点で描きすぎており、「鉄郎の青春」と謳うには少しズレを感じざるを得ない。私は「物語」を一歩引いたところで俯瞰してしか見ることができなかった。
「メーテルの物語」を描くのであれば、スピンオフとして映画化するなどして「鉄郎のいないところ」で描くべきである。したらば、前作の「鉄郎の最高の青春」、「冒険」を汚すことなくメーテルの人生、冒険も知ることができ、その「交わった点」である前作がより崇高なものに感じられたであろう。

 ハーロックの「親から子へ。そしてさらに子からその子へ受け継がれるのが本当の永遠だと信じてる」的な台詞も、勿論カッコよくて素晴らしいが、やはり、これもまた前作で描いてるのである。

 本作は、前作の「余白」を全てはっきりと言葉で言い切っただけの映画である。何の意味もなく、ただ前作の魅力を薄まらせただけである。


 〈純粋な疑問と感想〉

 終盤、銀河鉄道999がサイレンの魔女に吸い込まれていく最中、「車内のどこかに機械がある→メタルメナ飛び降り→999操縦可」となったが、メーテルは結局機械化人間ではなかったのか?

 ED曲はゴダイゴの『銀河鉄道999』を期待していただけにがっかりしたが、あれはあれで良い歌だった。