SANKOU

怒りの葡萄のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

怒りの葡萄(1940年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

1930年代のオクラホマを舞台にこの映画は始まるが、一部の金持ちのために土地を追われる農民たちの姿には強い衝撃を受けた。
もちろん補償など何もなく、彼らに残された希望はカリフォルニアに行けば仕事があるという新聞の広告だけ。それすら後から考えれば、農民たちを追い出すために作られた虚偽の広告だったと分かる。
仮出所をして故郷に帰って来たトムは、元説教師のケーシーと共に立ち退きの憂き目にあった家族と再会し、おんぼろトラックで西を目指して移動していく。
最初は希望に満ちた門出だったが、祖父母の相次ぐ死に、同じように仕事を求める難民で溢れたカリフォルニアには仕事など残っていないという情報から、次第にこの旅がとんでもない絶望へと向かっていくのではないかと思われる。
実際に難民キャンプは飢えで苦しむ子供たちで溢れ、仕事を求める人間に対して金持ちたちは自分たちの懐を暖めるために、劣悪条件と低賃金で彼らを搾取していた。
同じアメリカ人に対する仕打ちかと思うほど、警察やそれに準ずる警備隊の振る舞いは横暴で人情味に欠けている。
人間の本性とはこれほど社会のルールと人権が確立していないと浅ましいものなのかと思った。
後にケーシーがなぜ説教師を辞めたのかという理由も本人の口から語られる。今必要なのは神の教えを説くことよりも、貧しい多くの人たちが平和に生きるための権利を勝ち取ることである。
彼は労働者を扇動したとして殺されてしまう。その報復にトムは一人の警備兵を殺してしまい指名手配されてしまう。
劣悪な状況の難民キャンプがある中にも、警察も簡単には介入出来ない自治を確立したキャンプが存在していた。
人間以外のような扱いを受けたトムたちは、漸く一時の安らぎを得ることになる。トムは最終的にはいずれ自分が捕まるだろうことを予感してキャンプを去っていく。母親に別れを告げて、広い大地へと一歩を踏み出す彼の姿に心を打たれる。
人は大きな魂で繋がっている。ケーシーは命を落としてしまったが、彼の志はトムに受け継がれた。彼は多くの搾取され、苦しんでいる人たちのために立ち上がる。
彼の力だけでは何も変わらないかもしれないが、やがて彼の意志を継ぐものが現れるだろう。そうして人は権利を勝ち取ってきたのであり、今の世の中がある。
無知故に苦しい思いをしてきたトムの家族が、本当に新しい仕事があるのか疑わしいが、それでも最後に心配してもしょうがないと前を向いて旅立つ姿には感動した。母親の女は大地を流れる川のようで止まることはないという言葉も印象的だった。
人間の薄情さや醜さを多く目にする作品だが、トム一家があるカフェを訪れた際に、一斤のパンを買うシーンがとても感動的だった。
ウエイトレスは最初トムの父親がパンを10セントで売ってほしいという要求をはねのけてしまうが、マスターはどうせ昨日のパンだからと本来なら15セントのパンを10セントで売り渡す。
トムの父親は子供たちのためにキャンディーも買おうとして、いくらなのかとウエイトレスに尋ねる。彼女は二つで1セントだと答える。父親はそれを買って子供に与える。
客の一人が後から本当は一つ5セントだろうとウエイトレスに言う。そしてキャンディー分を多く支払って彼は出ていく。
この粋な計らいに人の心の優しさを感じた。
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