腎臓売買女

クリーン、シェーブンの腎臓売買女のネタバレレビュー・内容・結末

クリーン、シェーブン(1993年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ラジオの電波を拾うプチプチした音と脳内に話し掛けてくる不穏な声が常に付き纏い、それから逃げたいだけという「統合失調症」と思われる病を抱えているピーターの痛々しく破滅一直線を描く80分が重い。
刑事と養母が良い関係になる描写といい、時間経過を描くのが早過ぎると感じたが、あくまでピーターにとっての時間経過であり、車内は荒れ果て、爪の間が汚れている等、現実ではもっと時間が経っているんだろう。
刑事がバーで強盗に遭うシーンで銃を出さずに抵抗しなかったシーンは、扱っている児童殺害事件への無力感と遣る瀬無さを表してるように感じた。
「頭が受信機だから」という言葉を信じて、孤独を感じている静かな子供が父親に連絡取ろうとしたオチのシーンで、胸が苦しくなる。

私は
・冒頭の車を盗んだのでは?という描写
・攻撃的なことを言う声の「俺にまた任せればいいんだ」という描写
の二点から、混乱している状態のピーター(不安定なので自分も気付いていない)が犯人というオチで見終えたが、色んな意見を読んでいく内に「ピーターは犯人ではない」というオチだという意見が多く、最後まで先入観に囚われていることに気付いてしまった。
『スリー・ビルボード』のように犯人を探す映画というより、ピーターの体験をするということに着目するべき映画なんだと思う。
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