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クリーン、シェーブンの消費者のレビュー・感想・評価

クリーン、シェーブン(1993年製作の映画)
4.8
・ジャンル
サイコロジカルホラー/ドラマ/鬱

・あらすじ
統合失調症を患う青年ピーター
彼は常に止む事のない妄想や幻聴に苦しみ続けており、体内に埋め込まれたと固く信じる無線機を取り除こうとして自傷行為を働く事こそあったが他人に危害を加える事はない善良な人物だった
そんな息子に対し母のグラディスは心配こそしていたが理解しようとする事はなく度々、外出を勧め続けていた
しかしピーターにとって外は殺人犯の蠢く恐怖の対象でしかなかった
だが彼はある日、実家を出る事を決意する
それは母の手で養子に出された娘ニコールを取り戻す為であった
一方その頃、刑事のジャックは町のモーテルで殺害されて見つかった少女ジェニファーの犯人を追っていた
やがて彼の疑いの目は奇妙な行動が目立ちニコールを追っていたピーターへと向き…

・感想
統合失調症罹患者の日常と取り上げられた娘への愛がもたらす悲劇を生々しく描いた悲劇的な作品
基本的にはドラマ作品と言って良い内容だがピーターを襲う幻聴や妄想が引き起こす自傷行為など恐怖を煽る場面も目立ったので一応サイコロジカルホラーとして扱う

統合失調症を扱った映画は世の中に少なからずある
メディアミックス的手法によってカルト的な人気を得た「コリアタウン殺人事件」やデイヴィッド・リンチによる「ロスト・ハイウェイ」と「マルホランド・ドライブ」、そして「ジェイコブス・ラダー」等も明言こそされていないけどそうだろう
その中で幻覚を視覚的にはほぼ描かないという点で共通するのが「コリアタウン殺人事件」
しかし本作はそれともまた決定的に違う部分がある
「コリアタウン殺人事件」はファウンドフッテージ作品であり鑑賞者には第三者視点で行動や言動から妄想が伝わる
対して本作はより没入的な内容で幻覚こそ描かないが幻聴や彼の視点と知覚などを追体験させる形を取っている
これがとにかく秀逸で作中で流れる幻聴が言う所の「お前には妄想でも俺には現実なんだ」という言葉を嫌というほどに味わされる
ピーターが妄想に囚われているだけで極めて善良な人間である事がよりそれを際立たせていて自傷行為の痛々しさも伴い話が進んでいく毎にズーンと沈む様な感覚がのしかかってくる

そして彼の辿る末路の描き方も哀しくも美しく何とも言えない後味を残す
妄想に囚われながらも娘への愛を抱き続け奔走するピーター
事件解決に囚われて過ちを犯しそれを闇に葬る刑事ジャック
果たしてどちらが狂っているのか?
そう投げかけられた後にピーターの唯一の理解者であった亡き妻との娘となったニコールが取る行動
幼い故にピーターの妄想を疑う事をただ1人しなかった彼女の存在と死によってやっと彼は“クリーン”になれた
どこまでも現実的でありながらもどこか寓話的な内容は苦しみと美しさが奇妙な形で同居していて打ちのめされる
更にその終わりこそがタイトルの意味へと帰結していく

現実においても統合失調症というのは自覚する事が難しい
見て聴いて感じている事が現実か否かなど誰にも証明が出来ないからだ
当事者にとっては自らの抱く妄想こそが現実であり、それはパーソナリティ障害や他の精神疾患にも言える事
もっと言えば“正常”とされる人間だって自らの視点や思考回路でしか物を知覚出来ず、現実とは感じる人によって十人十色
どうにも出来ないこの事実の恐ろしさをこれでもかと言うほど本作を観ると感じさせられる
そもそも“正常”という状態の基準自体が曖昧なのだから…
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