きゃんちょめ

ハリー・ポッターと炎のゴブレットのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

4.0
パーティー=クラウチ=ジュニアーと、マッドアイ=ムーディーの2人が話しているときに笑いながら舌を出すという共通のクセによって同一人物であることを父によって感づかれるというシーンが、ほとんどセリフがないのに何度も見た人だけに分かる巧妙な伏線になっている。この時点でおれはもう100点。なんでかっていうと、同一人物であることをセリフや脚本展開とかから分からせるってわけじゃなくて、画面をよく見ていると最初から分かるようになってるから。


他にも、最後にどうなるか知っているからこそ最初の方のネヴィルの動向とかの意味が分かるように巧妙に作られてる。マートルがなぜポリジュース薬に言及したのか、そして、セブルス=スネイプの倉庫からポリジュース薬の原料がなくなっている理由も、すべてがこの最後のツイストに向けて用意されてる。

悪い伏線っていうのは、そのときはなんの意味もなく登場する伏線で、良い伏線っていうのは、そのときにも固有の意味があって、あとからその意味が"変わる"伏線のことを言うんだけど、J=K=ローリングは明らかにそれを自覚的にやってる。例えば、セブルス=スネイプにポリジュース薬の件で詰め寄られるやつは、そのときはセブルスの冷酷さやイゴール=カルカロフの怪しさに目がいくようになってるけど、あとからその解釈が変わるのだ。

全編英語だけで鑑賞したら3時間もかかったわ。もうちょい勉強しねぇとな。てか、映画を見ることができるようになるまでって本当につらくねぇか。映画の快楽は凄まじいものがあるんだけど、そこに到達されるまでにこちらが支払うべき苦痛がとんでもねぇ。マジで疲れるんだよね。

てか、映画って総合芸術だから、芸術を総合的にある程度少しずつどの分野も理解している人にしか映画の鑑賞なんかできない問題あるよね。
きゃんちょめ

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