まぬままおま

ヘンリー・フールのまぬままおまのレビュー・感想・評価

ヘンリー・フール(1997年製作の映画)
5.0
ハル・ハートリー監督作品。
「ヘンリー・フール・トリロジー」第1章。

第2章の『フェイ・グリム』、第3章の『ネッド・ライフル』も観たが、とてもとても面白かった。

キッチュ(俗悪なもの)の滑稽さを描くとともに、そこにある社会規範を揺るがす価値を描く物語に脱帽。

サイモンがゴミ収集作業員であることは、彼が社会のゴミであるかのよう。無価値でいなくていい存在。ゴミのない綺麗な社会にサイモンの居場所はない。
そこに登場するヘンリー・フール。彼は浮浪者であり、彼もまた社会のゴミと言えそうだ。そんな彼がサイモンに詩の才能を見出す。

これはシンデレラストーリーのようである。社会のゴミのように扱われた主人公が実はとてつもない才能の持ち主であるような定型的な物語。

だがシンデレラになるべきサイモンの詩に神聖さはなく淫乱なキッチュであるし、そもそもシンデレラストーリーへ導くヘンリーは、サイモンの母と姉フェイと淫行をするような信用ならない人物である。
このシンデレラストーリーを挫折させる物語構造。これだけで十分面白い。

しかしサイモンの淫乱な詩はゴミのない綺麗な社会を揺るがせてしまう。彼の詩は大衆を熱狂させ、街を動乱させる。そしてこの動乱をある種の「人気」だと錯覚し、また金の匂いを察知して、出版社は彼の詩を出版しようと決意する。あれだけ彼の詩は低俗でつまらないと言っていたはずなのに。だがサイモンの詩は目論見通り売れ、ノーベル文学賞まで取ってしまう。
あっけないサクセスストーリー。だけどゴミにもゴミなりの価値がある。その価値だけを取り出せば、社会を動乱つまり社会規範を揺らがすことだってある。そもそも社会はゴミを排出するし、サイモンがゴミを収集しなくてはその社会は維持できない。社会がゴミと向き合わず、ないものとするならば必ず報いが来るのである。

もう一つキッチュ=ゴミが価値を見出すものがある。それはヘンリーがフェイに贈る結婚指輪である。
サイモンが社会に「才能」を見出す傍ら、ヘンリーはフェイと淫行し、子ができる。そして家に落ちてたナットらしきゴミをフェイは結婚指輪だと錯覚し、二人は結婚するのである。この滑稽さ。
その後、ヘンリーは文学の才能を社会に認められたいと思いつつ、生活のためにゴミ収集作業員になっていく。彼は世俗に埋もれ、ありふれた家族生活を送るのである。

しかしゴミのような生活も一変する。ヘンリーのあまりにも偶然な殺人。
彼の逃亡にサイモンも加担することで一気にクライムストーリーへ展開していく。それは第2章への伏線のようである。だが何と言っても最後のシーンの素晴らしさ。あの物語の余白を残す最後によって、物語全体が宝石のように価値を帯びきらきら輝くのである。