春とヒコーキ土岡哲朗

17歳のカルテの春とヒコーキ土岡哲朗のレビュー・感想・評価

17歳のカルテ(1999年製作の映画)
-
人間が、何より分からないのは、自分。

主人公の意識が過去の記憶に飛んでしまうという描き方が、回想として物語を埋めると同時に、主人公の精神の不安定さを表していて面白い。描写の仕方やメッセージ性だけでなく、退院する主人公を、友人が敵意を持って追い詰めてくるクライマックスもあり、ストーリーとしても面白かった。

主人公・スザンナは、夜中の精神病院で、自分が分析されているカルテを盗み見る。自分がおかしいと決めつけられ、自分を他人によって確定されている状態。キング牧師のニュースなど、世界はいろいろ動いているが、そんなことは関係無い。社会で戦う前に、自分は自分が分からない。だから、看護師に言われた通り、「自分を壊したがっている」状態だったのだろう。
アンジェリーナ・ジョリーのオーラに圧倒された。登場シーン、パトカーで連れ戻された超問題児。表情もだいぶ自信に満ちているというか、自分を持った顔をしている。独特な言葉の運びも、ブレを感じさせない。反抗的で面倒くさいのに、このアンジーが演じるリサには、カリスマを感じてしまう。
しかしそれは、大人の顔をしているからであって、やはり実際は弱い。「崖っぷちの人間は背中を押されたら死んでしまうのに、自分は死なずにいる」と言っていたが、それも死んでいない自分は強いと誇示するため。逃亡から戻った後のリサはやつれた顔で、完全に目が死んでいる。ガラス越しの、目のアップ。退院するスザンナへの妬みが彼女の心を埋め尽くす。
世間の流れに飲まれずに自分本位に行動する自分を自由だと思っていたリサだが、社会に出られないだけ。自分だけは誰からも背中を押されないという事実を豪語するが、それは「あなたはもう死んでいるから」と言われる。世間に見限られ、院内でしか強がれないだけ。だから、院の外から戻ったリサの目は死んでいたのだろうし、社会復帰できるスザンナを心底妬んだのだろう。
全てを見透かされ、号泣。強く大胆に行動するのは、繊細な弱さの裏返し。スザンナは考える、「おかしいのは自分なのか、世界なのか。おかしいとしたらそれは自分のせいなのか」。自分と社会にズレを感じたとき、どちらかが間違いなのではないかと考えてしまう。「別に異常なワケじゃなく、揺れ幅が大きいだけ」と結論付ける主人公。なかなか答えの出せない根深い疑問だが、抱いてしまったら、立ち向かうしかない。