あんじょーら

善き人のためのソナタのあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

善き人のためのソナタ(2006年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

冷戦時代の東ベルリン、国家保安省(ということは私服警察といいますか、秘密警察といいますか、嫌な仕事です)のヴィースラー大尉は大学でも国家保安省の役員を育て上げる授業も行う程の(そして、その内容は酷く、長時間の不眠を強いることで成り立つ)有能さは上役も一目置いていますし、常に冷静で表情の読めない男です。そのヴィースラーが盗聴と監視を行うことになったのは有名な劇作家であるドライマン、そしてその恋人は舞台での主演を演じている女優のクリスタ=マリア・ジーラント。そして、この盗聴には上役の下劣な狙いも隠されていたのだが...


というのが始まりです。とある劇作家を国家権力が目をつけたとき、そこが東ドイツであると、盗聴と監視が24時間体制で行われることを意味します。その盗聴監視を行ったこの手の仕事のプロであるヴィースラーの心に浮かぶそれまでは起こらなかった感情の波が、ドライマンとジーラントの会話から沸き起こってきます。監視と盗聴をしている側も、ある意味壁の中にいることを自覚させられるのです。そして、その感情の波が、ささやかながら変化してゆくとき、ドラマが起こります。


かなり多層で多角的視点から、いろいろ解釈が出来そうなドラマです。できれば、見終わった人と話したくなるそんな映画です、あそこであの選択はどうなのか?彼はまともなのか?この展開は許されるのか、等々、話し込んでみたくなります。



監視社会の人間ドラマ、人間関係に興味がある方にオススメ致します。





アテンションプリーズ!


ここからネタバレあり!です、もう既に見られた方はどうぞ!






























ヴィースラーは上司の邪な欲望について(こんなことがあるなんて、正直信じられません、それでも人間は性善説や性悪説という1面的な評価は難しい『ゆらぐ』清濁混在した存在なのだと思います)は知らされてませんし、基本的には国家に疑いを持つことの無かった男です。表情そのものを無くしたかのような、ある意味ヴィースラーこそが最も大きな傷害を受けている被害者とも言えます。そのヴィースラーがドライマンを疑い、その盗聴を続けていくうちに、クリスタに惹かれていったのだと思います、ただし、ただ単に女である彼女に惹かれていったのではなく(だから娼婦のシーンがあるのだと思うのですが)ドライマンとイェルスカ(今は国家に干された演出家)込みの、いわゆる西側的「自由」に惹かれたのだと感じました。途中本を失敬して読み込んでみたりもそうですし。それでも、ヴィースラー本人は確信的に2人を庇おうと決めていたわけではない、と思うのです。やはり1度は上司で同期のグルビッツに告発する手紙まで手にして向かっているのですから。そのことから深みに嵌ろうとも様々なことに破綻をきたしてゆくのが分かっていても、ある程度の保身をしつつ、見守ってゆくかのような立場にたっていくヴィースラーは分かる気がします。


バーでいつものあなたと違うという場面、監視者が対象者に接触するという、危険を冒してもジーラントの心理に介入する場面はかなり手に汗握るシーンでしたし、ささやかな介入で動かす機微が現れていて面白かったです。しかしこの程度の介入と、タイプライターを隠してジーラントを、ひいてはドライマンを守ろうとするのは、心理に介入するのとはレベルが違う、はっきりと国家に背く結果を、受け入れる覚悟を伴っていると思います。だからこそ、上司を車で送って、その上司に何の言い訳もしないのだと思うのです。やはり段々と人としての心の動きを、感情のゆらぎを回復してゆくことに、監視と盗聴が繋がって(非人間的行為が人間性を回復して)ゆく部分に、面白みを感じさせます。


しかし、様々な葛藤と、時の運と、大きな犠牲を経て、ヴィースラーが最後の最後、ドライマンの新たな著書を手にして本屋の店員に話す一言は、少し都合良い微笑みに感じなくも無い、と思いました。その時々の細かな心の揺れとある意味「時の運」的なものを経た結果を、ドライマンは分かりようが無かったと思いますし、ヴィースラーのその後がどのような生活なのかを受け手にゆだねられていますので、ドライマンのヴィースラーに会わずに書いた本は、確かにヴィースラーのものでありましょうけれど、しかし、完全に最初から2人を保護しようとしていたわけではないのですから。様々な葛藤とゆれの結果なのではないか?と感じてしまいました。


が、ともかく、とても多層的、多角的作品で、ドライマンから見たもの(イェルスカの死に際しての葛藤の解釈)、ジーラントからみたもの(ヴィースラーからの尋問で、ドライマンと女優人生のどちらかを選択させられる点もいろいろ解釈がありそうです)、どれもそれぞれ単純ではない部分が面白かったです。ちゃんと通して「善き人のためのソナタ」を聞いてみたくなりました。