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彼女が消えた浜辺のtakのレビュー・感想・評価

彼女が消えた浜辺(2009年製作の映画)
3.7
イラン映画について僕が持っていたイメージ。それは子供が主人公の映画。映画の表現にいろいろと厳しい規制がある国だけに、そうした制約の少ない子供映画がたくさん撮られている、ということだ。事実、「運動靴と赤い金魚」「友だちのうちはどこ?」を筆頭にイラン映画は子供が主人公の名作が多い。だがそのイメージは既に古いものになっていたのだろう。この映画に登場する人々の姿は、これまでイラン映画で観たことのないものだった。トンネルの中ではしゃいで大声をあげる主人公たちご一行。日本の車、ヨーロッパの車、携帯電話、ハードロックカフェのTシャツ。女性が髪を隠すために身につけるヘジャーブは、これまでグルグル巻いていたイメージがあったのに、広めのストールを巻いている程度の軽いものに感じられる。時代は変わっているのだな。

休日を貸別荘で過ごすためにやってきた数組の家族とその友人。予約の手違いから浜辺にある部屋に泊まることになった。主人公の女性セピデーは、保育園の先生であるエリを誘って連れてきていた。友人の男性と知り合わせようというのが、目的でもあった。ふざけて楽しく過ごす彼ら、彼女ら。しかしエリはどこかなじめずにいた。子供たちが浜辺で凧揚げをしていた直後、子供の一人が海でおぼれてしまう。子供は救われたが、エリの姿が見あたらない。溺れたのか、黙って帰ってしまったのか、それすらわからない。警察にフルネームを尋ねられた彼ら。しかし、誰もエリという名前以上のことをほとんど知らない。家族に連絡をとろうとするが、家族は旅行に行くことすら知らなかった。次第に明らかになる、彼女についての事実。映画はミステリーのような様相を呈していく。

この映画を観て感じるのは不安な気持ち。エリの失踪の謎はなかなか解けず、スクリーンの中では自分のせいだと泣く人、誰のせいかと責め続ける人、エリの婚約者とされる人物も現れて事実を隠そうと緊張が走る。この2時間の騒動を我々は第三者的に観ている訳ではない。観客も登場人物たちと同じように知らないことだらけで、とても不安な気持ちにさせられる。そして結末は突然提示される。因果関係も示されないし、何が起こったのかも語られない。最後まで不安な気持ちのままで幕は下ろされる。この不安は、物語が進展しないからだけではない。イスラム社会がもつ厳しい社会的な取り決めのようなものが随所に描かれている。女性と男性の関係。婚約者がいたエリに、男性を紹介しようとしたことは、貞操観念の厳しいイスラムの世界では嫌われることだ。その結婚に疑問を抱いていたエリの気持ちが明らかになって、こうしたことが語られる時代の変化を感じずにはいられない。だが、それはまだまだ一般的に受け入れられた考えではない。そんな不安定な時代の空気がここでは描かれているのだろう。
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