彼女が消えた浜辺の作品情報・感想・評価

「彼女が消えた浜辺」に投稿された感想・評価

このレビューはネタバレを含みます

ずっと居心地が悪い良質なサスペンスだった。顛末に余白が残されているのが良い。本当のところは分からないけど、人生の大事な場面でマシなほうを選ぶという選択肢しかないの苦しいよな…。しばらくはこの映画のことを考えることになりそうです

セピデー、どうも見たことある人だと思ったらパターソンさんのパートナー役の人だった
オチが想像より弱かったかな、、まあそういう映画なんだろうけど(最後のシーンが実は、、的な説もあるか)。臨場感あるカメラワークとか、なんとなく不安を煽られる展開はとても良かった。
bluesmoke

bluesmokeの感想・評価

4.0
モダニズムの憂鬱な円環1/4

僕が少年だった頃に映画が好きというお姉さんたちはとても知的でクールな印象があったのですが、40代となった視点で現役のお姉さんたちを眺めるとその印象をあらためなければいけないような気がしてきます。

あの素敵なお姉さんたちはどこに行ってしまったのだろう?

それはたとえば現代イランの映画監督であるアスガー・ファルハディによる一連の作品群を、どのように観て何を感じたのかをレビューに覗いてみればすぐに分かってしまうように思います。あまりにも教養がなく、感覚もおそろしく鈍い。もう少し頑張って背伸びしながら素敵でいてほしいと思います。

頑張らなくてもいいという考えはきっとすべてまやかしです。人は頑張って背伸びした分しか素敵さを手に入れることはできませんし、手にした素敵さは必ず誰かによって発見されるはずです。「Someday My Prince Will Come」はそうした意味においてしか成立しないと僕は思っています。

王子様はやってくるのではなく、たぶんそのようにして素敵になった女の基準に合わせた男たちが王子様になるのだと思います。お姉さんたちにはほんとうの意味で誇り高くいてほしいですし、(僕自身も含めた)程度の低い男の基準になんて合わせてほしくない。「Let It Go」もまた本来的にはその先に描かれる姿勢のはずです。

もしも僕に娘がいたらこういうことを言ってたような気がしますので記しておきます。かつてある女性から「あなたがわたしのお父さんだったら、たぶんわたしはお嫁に行けない」と言われたことがあるのですが、このことに彼女は気づいていたのかもしれない。

そして女性不在のまま勝手に王子様になってしまった僕は、お姫様にはなれないという自意識を抱えた妻を日々苦しめることになりました。しかしながら妻のほんとうの姿は人ではなかったため、その魔法を解いた僕たちは別の関係を結び仲良く暮らすことになります(めでたしめでたし)。ですから白鳥の湖の逆バージョンもあることを僕は知っています。

いつものようにネタバレしますので未鑑賞の方は避けてください(一応はミステリー作品になります)。



この『彼女が消えた浜辺』に登場するエリという謎の女もまた、そうしたある「基準」から逃れようとする女性像として描かれているように思います。その基準はイランという国が抱える因習(いんしゅう)と言っても差し支えないように思いますが、ファルハディのまなざしはその先をさらに見つめてもいます。

イランの中流階級と思われる3組の夫婦と(乗っている車はBMV,PEUGEOT,TOYOTA)、離婚したばかりの男に保育士の女エリ。これら男女8人とその子供たち3人が、首都テヘランからカスピ海沿岸へと3日間のバカンスへと出かけるところから映画は始まります。


妻A:セピデー(快活な性格であるいっぽう隠し事が多い)
夫A:アミール(封建的な価値観から隠し事の多い妻に苛立っている)

妻B:ショーレ(神経質なところがあり自己主張が強い)
夫B:ペイマン(お調子者な側面と封建的な厳しさをもつ)

妻C:ナッジ(優しい気質であまり自己主張しない)
夫C:マヌチュール(温和な性格でいつでも常識的に振るまう)

女:エリ(セピデーの娘の保育士。母親がいる他は謎に包まれている)
男:アーマド(ドイツ在住で一時帰国。ドイツ人女性と離婚したばかり)

避暑地に到着早々から手違いがあったものの、海辺の荒れた別荘を借りることができた彼らは、初日の夜と翌日の昼までは楽しく過ごします。しかしその2日目の昼に事件は起こります。ショーレとペイマン夫婦の幼い息子が、大人たちが目を離している間に海で溺れてしまいます。セピデーの娘たちがそのことを告げ慌てて救助に向かう大人たち。緊迫した時間が流れるなかなんとか救援することができたものの、そこにいたはずのエリの姿が消えていました。

1泊だけのつもりで同行したエリは帰りたがっていたもののセピデーがそれを強引に引きとめていたこともあり(セピデーは離婚したアーマドとエリを結びつけたかった)、彼女が子供を救援しようと海に入って溺れてしまったのか、何も言わずに帰っただけなのかをめぐり、残された7人の男女が疑いと罪悪感のなかで憔悴(しょうすい)していくことになります。



先に『ジグザグ道3部作(コケール・トリロジー)』でレビューしたアッバス・キアロスタミと、本作の監督であるアスガー・ファルハディとの関係について僕なりに思うことは次の『別離』に譲るとして、ファルハディの作品はすべて西欧的なモダニズムを経由したものであるため、現代の日本に住む僕たちの感覚でも素直に受け入れられる語りになっているように思います。

だからこそ/しかしながら(どちらの接続詞でもつないでいけるのですが)たいへんモダンな感覚で描かれているため、作品のなかで生じた出来事をそのまま僕たちの生活感覚で捉えてしまうとすべて明後日の方向に印象を結んでしまうことになります。彼がイランという国で活動する映画監督であることをきっと忘れてはいけない。

性格の異なる3組の夫婦をもちいてファルハディが総体として描いているのは、現代イランに住む人々が抱えるある空虚さだろうと思います。3泊のバカンスの間に引き起こされた一連の出来事によって、描かれる人物それぞれの細やかな感情の襞(ひだ)が波打つことになるのですが中心にはいずれも空虚さがある。

その空虚さの具象的な象徴としてエリは存在しています。

子供が海で溺れ彼女が失踪する直前に、エリが子供たちと凧揚(たこあ)げをするシーンが印象的に描かれます。凧(たこ)は海辺の風に吹かれて自由に空を舞おうとするものの思うように気流に乗れない。そしてようやく空に舞ったように見えても実は地上からタコ糸によって繋がれている。

この象徴的なシーンによって描かれているものは観た側がそれぞれに思えばいいことですが、少なくとも本作に描かれる登場人物たちの中心にあるだろう、空虚さの具象的な表れであることは間違いありません。

映画は後半からエリには婚約者がいたこと(アリレザという名の男性)や、イスラム的な道徳観念のなかで揺れ動き翻弄される彼らの姿を追っていきます。そうしたいっさいのことを端的に表すなら因習(いんしゅう)と言って差し支えないように思いますが、彼らがほんとうに対峙しているものはその因習でさえありません。

こうした正体の定まらない空虚さが空転していくような姿が、ファルハディの作品にはいつでも描かれることになります。セピデーがなぜあれほどまでに様々な事情を隠し立てながらエリを望まない婚約から解放しようとしていたのかも、すべては空虚さを中心としているからだろうと僕には思えます。

そして映画のラストで海から溺死体として引き上げられたエリの亡骸(なきがら)に対面した婚約者が見たものは、おそらく現代のイランの人々が心の中心に抱えている空虚さの行き着く先だったように思います。

このレビューはネタバレを含みます

イラン人で脚本家兼映画監督のアスガー・ファルハディによるミステリードラマ作品。

この監督の作品は2作目。
本作もミステリーでありながらのギスギスの人間ドラマを展開している。
イラン特有の雰囲気と情景が見事にマッチした内容でした。

単純に謎を追いかけてしまうだけでも楽しいし、鋭利な人間ドラマの要素も引き込まれる。
同じ題材でも演出する側の技術で面白さの幅はいくらでも変わりそうなのに、この監督はこの手のジャンルに強すぎる。

盛り上げてからの大したことない結末か、大したことないと見せかけたどんでん返しか。
その二択で絞って鑑賞してみたけど、落としどころも悪くない。
ネタバレは控えて鑑賞するべし。
impre

impreの感想・評価

-
ファルハディの映画がすごいのは何もかもが「どうしようもない」ところ。登場人物の誰にも「あの時ああすれば良かったじゃん!」とは言えない。そういう出来事の積み重ねで映画はすごいところまで行ってしまう。ラスト2カットの痛切さ。結局、運命の前に人はひれ伏すしかないってことを強烈に感じさせる。
2009年ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)受賞作

3組の家族が、カスピ海の別荘に遊びに来る。
その際、娘の女教師のエリと、離婚してドイツから帰国してきたばかりのアーマドも同行し、彼らは2人をくっつけようと画策していた。
アーマドはノリノリで、大人たちはバカ騒ぎ。
エリはその空気になじめないでいた。
ある日、海辺で子どもと一緒に凧揚げをしていたエリ。
今までのうっぷんを晴らすかのように、凧揚げを見ながら走り狂う。
一方、男たちがビーチバレーに夢中になっている。
すると、子どもが叫んでやってくる。
子どもが一人、海に溺れているのだ。
なんとか、一命は取り留めたものの、子どもに同行していたはずのエリが見当たらない。
必死に探しても見つからず、出て行ったのではないかと話し始めるのだが…。
彼らはエリのことを何も知らなかった。

消えた彼女のためか。
自分たちのためか。
嘘に嘘を塗り重ねる映画。
しつこいくらい、序盤のバカ騒ぎは観ていて嫌になるが、それはそのままエリの心情と重なる。
彼女が消えてからは真っ逆さま。
アスガー・ファルハディ監督が得意とする、不幸のドミノ倒し状態が始まり目が離せなくなる。
誰も救われない。
感情がえぐられる。
いやあ、さすがですわ…。

これにてアスガー・ファルハディ監督の過去作は全作品鑑賞。
同じくイランを代表する、アッバス・キアロスタミ監督との違いを考えながら観てきた。
前者は職業俳優中心、後者は非職業俳優中心。
前者は、より複雑にして言動で心の動きを表すのに対し、後者は、よりシンプルにして行動で心の動きを表す。
全くの正反対のようにも思えるが、共通点がある。
それは、”思わず嘘をついて、秘めたる感情が露わになる”ことだった。
誰もが手軽に発信できてしまう現代において、これは今後、さらに重要な視座になる。

アスガー・ファルハディ監督の演出は非常に高度で、他の人が真似できない領域に向かおうとしている。
観る人をかき乱す感情のエグさ。
とても子どもには見せなれない、大人向けの成熟した映画。
存命中の監督では、ミヒャエル・ハネケ監督と並んで最も注目している。
新作の「A Hero(原題)」は、先月のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。
おそらく来年の春から夏前ごろには、日本でも公開になると予想。
今からとても楽しみ。

【アスガー・ファルハディ監督全作品の個人的評価一覧】
4.3 別離
3.7 砂塵にさまよう
3.7 誰もがそれを知っている
3.7 彼女が消えた浜辺
3.5 セールスマン
3.4 ある過去の行方
3.0 美しい都市
2.5 火祭り
かえで

かえでの感想・評価

4.1
嘘は嘘を呼ぶ
どんどん重ねた嘘は取り返しがつかない
恐怖のサスペンスに
目が離せない
チロル

チロルの感想・評価

4.0
やっぱりこの監督の作品が好きだ。

彼女がいなくなった後の家族間の会話や言動がリアルに描かれていて観ているこちらにまで緊迫感が伝わってくる。

咄嗟の嘘や人物達の言動が悪い方悪い方に事が進んでしまい、ハラハラというよりイライラした。
誰が悪いという訳でもないのだけど。

小さい子供達にまで口裏合わせさせる大人達が悲しい。

退屈することなく結末まで観ることができる映画って最高。
ゆき

ゆきの感想・評価

3.3
なんかイランの男の人ってけっこう勝手な?
あんな海のそばで宿泊ってなったら、バレーボールやっとらんで子供を見ててってなる。
女の人に責任転嫁感がハンパないよねー。
あと、口喧嘩が凄すぎて引く。
raga

ragaの感想・評価

4.0
些事から互いの意思疎通が穏やかでなくなっていく。誰もが悲劇を望んでいないのに、取り返しのつかない事態へと陥ってしまう。表面的な交歓に虚しさだけが残るバカンスの惨禍を通して人の残酷性が浮かび上がる。アスガー・ファルハディ監督は人物の日常会話の中でミステリー要素を加味するのが上手い。他人の素性は完璧にわからない、それが配偶者であっても同様で何故あの時あんな行動をするのか、すぐさま自身の責任回避へと思考する心の矮小を巧みに表現する。体裁や保身、見苦しい様はいとも容易く分断へと導かれる。人は状況によって豹変する不可解な言動はまさにミステリーである。
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