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エクソシストの都部のレビュー・感想・評価

エクソシスト(1973年製作の映画)
3.5
現代の機敏な映画脚本に慣れた身からすれば、序盤から中盤に掛けての何かが起きそうで起きないが繰り返される緩慢な物語の進展には困惑させられるが、本作の主題が祓魔を機会とした語り部:カラス神父の信仰を巡る物語であることを理解すると話の見え方は大きく変わってくる。

科学と信仰の板挟みの立場にある彼の葛藤が克明に明示される語り口は複雑で味わい深く、元心理学師という立場ゆえに神の存在を疑ってしまう己に対する自罰的な感情からの苦しみが立ち振る舞いや表情の機微にに顕れる姿には見応えがある。一方で同時進行する悪魔に憑依された少女の身に起こる異常事態が、懇切丁寧に科学的見地に従って検証されるものの、手に負えず盥回しにされ母子共に疲弊していく展開。これを通して『もはや神に祈るしかない』という非現実的な手段としての祓魔に至るまでの過程が説得力を持って示され、それによる非現実性を現実感で塗り固めるような念押しが作品の雰囲気を形作っているのだ。

この相補的な場に位置する二つのドラマの合流が、科学では解決できない事態の直面による神への信仰を取り戻す場として機能する作りは非常に理知的なプロットと言えて、些か地味であるものの面白い。

そして本作の最大の魅力とも言える悪魔に憑かれた少女のおぞましい挙動の数々はどれも印象的で、緩慢なプロットに変調を齎すだけの存在感が作中において十全に発揮されている。これを演じた子役の演技力に拍手を送りたいし、子供だからと情け容赦のない痛々しい仕打ちや特殊メイクによる憑依している悪しき存在としての画の強さは名作と呼ばれるだけのことはある。

しかしながら物語に無駄と思われるシーンがかなり多いのは事実で、ほぼ半世紀前の映画と言えどそこはやはり感化し難い。緊張感の持続という側面から見ても冒頭から40分経過まで肩透かしで断続的なシークエンスの連なりを感じ、映像としての微妙な統一感のなさは明確な批判点として上げられるだろう。
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