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七つの顔のpsychedeliaのレビュー・感想・評価

七つの顔(1946年製作の映画)
5.0
松田定次監督の仕事を追っていくと,この人はここぞというときに必ずといって良いほど外さぬ素晴らしい仕事をしていることがわかる。東映時代に日本最初のシネスコとして撮った『鳳城の花嫁』,東映創設五周年記念作の『赤穂浪士 天の巻 地の巻』,雑多に過ぎる脚本を手堅く纏めたオールスター映画『水戸黄門(60年)』,そして大映時代の本作だ。チャンバラという武器を失った千恵蔵にとって本作は一つの浮上のきっかけであり,逆を云えば本作がコケていたら千恵蔵は他の戦前派スターと同様に,大部屋俳優レベルまで落ちぶれていたかもしれないのだ。そう考えれば松田定次監督にすれば何重もの重荷であったろう。それにきっちりと応える辺りが後に東映のエース監督となった所以なのだろう。
40年代の日本映画というのは戦前戦後を通じて最も見づらい映画の多かった時代ではないだろうか。サイレントからトーキーへの橋渡しに苦労した役者は多いが,監督でもその点では同じでなかったか。
一言でいえば,トーキーが導入されてから冗漫な作品が増えた。あの山中貞雄の『丹下左膳餘話』でさえ,冒頭場面にはその危惧があった(結論から云えば大がつくほどの傑作であったが)
これは何故かというに,単純な場面転換というのは,優れた工夫をしない限り,実は喋る科白よりスポークンタイトルと映像の織り込みの方が観客へ伝わるのがはるかに効率的なのだ。トーキー導入以降しばらくはその新たな製作形態への新たな方法論というのが未完成だったため,冗漫な作品が増えたのだ(戦前に関していえば戦意高揚のための製作規制が,その傾向に拍車をかけたのは言うまでもない)
然るに本作は,その時代にあってしかも溝口健二や黒澤映画のほどに注目される作品ではないながら,実にスピーディーでかつサスペンスフルなスリラーに仕上がっているのだ。しかも,GHQよりの規制の下にありながら,である。
当時としては珍しかったであろうカーチェイスや銃撃戦,そして本格推理への挑戦。荒唐無稽と云われる展開も,じつは本当に細かいところはきちんと脚本が練られていて,例えば序盤でヒロインが推理小説好きで,誘拐され連れていかれた屋敷の階段の段数から門より玄関までの歩数などを完璧に記憶していることを提示しておいて,クライマックスで主人公から警察への伝言,それも無線の周波数まで一回言及されただけで覚えるという,こういったやりとりに説得力をもたせる伏線をちゃんと用意している。そして,要所要所に荒唐無稽を持ち込み映画的な面白さを持たせる。全てが計算されているのである。松田定次監督の力量が伺える。
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