ゆり

時計じかけのオレンジのゆりのネタバレレビュー・内容・結末

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

■解説を読んで

主人公のアレックスはカリスマ的存在として描かれていたらしい。キューブリック自身、「かっこよく描いた」と言っていたそう。暴力的なシーンではキレイな音楽を流し、そのリズムに合わせて暴力や性行為をすることで、視聴者をいつの間にかアレックス同様に快感を感じさせる狙いだったとか。アレックスを自由の象徴として描き、かっこよく描ききる、という選択をあえてしたそう。

ただ、私は前半で快感を感じることもアレックスに魅力を感じることも微塵もなかったから正直彼らの意見はまるでわからなかった。
自由か、制限される世の中か、という問いがあったが、私は彼のような多くの人の人生を酷く踏みにじってきた人は仕返しを受けて然るべきだし、どれだけ制限されようが自業自得だと思う。
しかし、この作品が大ヒットした当時、この作品に影響されてレイプや暴力が横行したというそうだから、当時の若者たちにとってはやはり魅力的に思えた、ということだろう。

………わからん。




■解説を読む前の感想

これは、悪いことをした者に対する自由はあるのか、改心したとして、許されるべきか否か、というテーマを扱っているんだろうか。その上で「自業自得、許されるべきではない」という見解に立っている?
自殺未遂のあとの展開はつまり、もとに戻りつつあるということよね?
一点透視で画面構成をされてることがとても多かった。他の作品を考えても、キューブリックの特徴かな。集中線が出来て存在感が高まる画になっていた。
青いバックライトに包まれている表現はどういう時に用いていた?SFだとよく、「未知の生物の登場」や「現実を超越したもの」の表現に用いられている印象だったが、この映画では覚えている限りだと3回使われていた。最初のホームレスへの暴力シーンと、更生披露の冒頭、男と向き合うところ、そしてそのシーンの女性の登場・退場カット。共通点は?最初の2つだけなら、「主人公の性格を示す」という意味かとも取れるが、女性も同じライトで照らしていたのはわからない。
あと、やっぱり冒頭のミルク店でのカットの強烈さは凄い。非対称にされたクローズアップショットから始まり惹きつけて、どれだけカメラを引いていっても見慣れない、違和感を覚えるしかない風景。ここでの違和感や嫌悪感がそのまま、彼らの冒頭の行為への感情を示しているのか。最初はとことん嫌悪感を強くするために始まりをあのようにした?
個人的な感想としては、どれだけボコられたりしても同情しなかったし、むしろそれぞれの人に復讐の機会が巡ってきてよかったね、と思った。唯一いうと一緒に悪さしてた彼らは普通にいい道進んでるのが腹立たしかったけど。
ゆり

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