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市民ケーンのkojikojiのレビュー・感想・評価

市民ケーン(1941年製作の映画)
3.8
 過去の名作映画を観る方には、是非「ボブおじさん」の「市民ケーン」のレビューを読んでいただきたい。
ここには、過去の名作を観てレビューを書くとき、必ず悩むであろう重要なテーマが語られている。


 私は期せずして、このレビューを書く直前に、ボブおじさんのレビューを読んだ。
 このレビューで語られているのは簡単に言えば、名作のレビュー、評価は過去の視点にするか、現在の視点にするかいうことだ。
 この問題があることから、ボブおじさんは過去の名作と言われる作品は、評価点はつけないことにしたそうだ。
これも一つの手ではある。
しかし、それを全員真似すると、レビューがこれから観る人の参考にはなりにくくなる。
 そこで私は折衷案を考えたいとボブおじさんに答えた。しかし、書いたのはいいのだが、折衷案はあるのか、今、これを書きながら頭の中で整理しているところだ。
と言って、実はこれまでずっと評価してきているので、評価の仕方は決まっていて、後ははっきりそれを整理するだけなのだ。
 つまり私の評価の方法は
① 評価点は基本、現在の視点でつける。ただし過去の視点で重要と思われる評価は加味する。
② レビューには、過去の視点で評価できるものも記載する。ただし、現在の視点で評価可能なものだけとする。つまり完全に消えてしまった技術や、今の視点で評価の対象とできそうにないものはレビューの対象としない。
これを基準にこれからの名作のレビューを書いていきたい。
私はこれから来年にかけて「死ぬまでに観たい映画1001」の準完走に取り組もうと思っており、多分この問題に常に頭を悩ませることになると覚悟している。

1941年 アメリカ🇺🇸映画
監督・脚本:オーソン・ウェルズ
脚本:ハーマン・J・マンキーウィッツ
製作:オーソン・ウェルズ
出演者:オーソン・ウェルズ
ジョゼフ・コットン
ドロシー・カミンゴア(英語版)
音楽:バーナード・ハーマン
撮影:グレッグ・トーランド
編集:ロバート・ワイズ

# 1393 2023年426本目

 大富豪の新聞王ケーン(オーソン・ウェルズ)が「バラのつぼみ」という謎の言葉を残してこの世を去った。
 その言葉の意味を探るよう調査を命じられたニュース映画の編集者は、ケーンの元妻や事業のパートナーら、生前の彼を知る人々に取材を重ねていく。
 やがて浮かび上がったのは、すべてを手に入れた男の孤独な生涯だった。

 これがストーリーだ。
そして何がすごいと言っても、この作品を撮ったオーソン・ウェルズが若干24歳の若者であること、しかもデビュー作であり、演じたのもこの若者であるという事実だ。
あまりに凄すぎて言葉を失う。

 数々の映画技術が詰まっていると言われる。それは例えば手前にいる人物と遠くにいる人物の両方にピントをあわせる「パンフォーカス」看板を通り抜けるようなショット、ケーンの口元の「超クローズアップ」地面に穴を掘って撮影した「ローアングルショット」などだ。
 それに加えて、あの馬鹿でかい建物・セットはどうして撮ったのだろうか、これも気になる。
 回想で物語をつくるという時間軸の操作も当時は珍しく、この素晴らしい脚本もまたオーソン・ウェルズである。
この映画は映画史上最高傑作と言われているが、私は残念ながらそうは思はない。そこまで面白いストーリーとは思えないからだ。
ただし、アカデミー賞脚本賞を受賞した本作。最初に「バラのつぼみ」というテーマをポーんと観客に投げて、最後までその謎解きをさせていく手法は天才的だと思う。

 果たして「バラのつぼみ」とは一体何を意味するのだろう?
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