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殺しが静かにやって来るのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

殺しが静かにやって来る(1968年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

アメリカ西部の町スノーヒルは、賞金稼ぎが占領する恐ろしい町だった。そのボスはロコで、黒幕は判事のポリカットだった。そんな町に、幼い時に両親をポリカットに殺され、自身も喉を切られて声が出せなくなった殺し屋サイレンスがやって来た。ロコに夫を殺されたポーリーンに代金千ドルで、復讐を頼まれたのだった。

カッコいい邦題に釣られて、はるか昔にレンタルVHSで見て以来の再鑑賞。
1968年のマカロニ・ウエスタン「続・荒野の用心棒(Django)」のセルジオ・コルブッチ監督の異色の作品。
声が出ない殺し屋サイレンスをフランスの名優ジャン・ルイ・トランティニャンが、狡猾な賞金稼ぎロコをドイツの個性派俳優クラウス・キンスキーがそれぞれ演じる。
音楽はマエストロ、エンニオ・モリコーネ。
スタッフ・キャストだけで映画ファンは食指が動くはず。
Q.タランティーノ監督が「ヘイトフル・エイト」で大きく引用したのは本作だろう。
西部劇の常識をひっくり返すラストは、今見てもかなり衝撃的である。

舞台は乾燥した荒野ではなく、雪に覆われた寒村という所から異色。
この土地は悪徳判事ポリカットに支配されていて、彼は気に入らない者から仕事を奪い、止むなく犯罪に手を染めさせる。
賞金首になってしまった人たちは町にいられず雪山に逃げ込み、野盗に身をやつしながら寒さと飢えを凌いでいる。
そして町にはロコをはじめとする賞金稼ぎたちが居座り、彼らが寒さに耐えられずに戻ってきたところを殺そうと待ち構えている。
「人間狩り」が平然と行われる殺伐とした世界だ。

そんな場所に2人の男が新たにやってくる。
1人はロコに夫を殺された未亡人からの依頼を受けてやってきたサイレンスという殺し屋。
もう1人は、新しくスノーヒルの保安官に任命された元軍人のゲデオン。
2人は偶然にも駅馬車に乗り合わせ、さらにそこにロコが乗り合わせる。

まだこの時点ではお互いを何も知らない物語のメインキャラクターたちが、運命的に一堂に会する演出は、これから何が起こるのか?と一触即発を期待させ、印象に残る。

本作はやはりサイレンスとロコという2人のキャラクター設定が秀逸だ。
サイレンスはまだ若く、賞金稼ぎをターゲットにする殺し屋。
早撃ちが得意で、相手を挑発して先に銃を抜かせ、正当防衛として撃ち殺す。
相手が命乞いをした場合は、利き腕の親指を撃ち抜き二度と銃が撃てないようにする。
さらにサイレンス(沈黙)という名の通り、彼は言葉を発さない。
喉には深い切り傷があり、喋ることができないのだ。
愛する者を失った人々の頼みを無言で聞き入れ、その仇を討つ。
「座頭市」的なハンディキャップと凄腕を持つアウトローなダークヒーローである。

対する賞金稼ぎのロコは、痩せ型の体型に高い声、チンピラのように見えるが非常に狡猾な男。
嘘や卑劣な手段をいとわず、賞金首となった人々の事情を知りながらも彼らを躊躇なく殺す。
サイレンスや保安官と駅馬車で乗り合わせたとき、ロコは道中のあちこちで雪に埋めておいた殺した賞金首の遺体を回収する。
死体を荷物扱いするとは、まさに冷酷非道という言葉がよく似合う男。

サイレンスが依頼を受けたことは、すぐポリカットを通してロコの耳にも伝わり、物語は2人の戦いの行方を追っていく形になる。
ロコはサイレンスのやり口を知っており、狙われているとわかっても「あいつの銃は俺より早い。だから俺は絶対にあいつより先に銃は抜かない」と挑戦を受ける気でいる。
「絶対先に銃を抜かせる男」と「絶対に先に銃を抜かない男」の戦いに町は緊張感をはらむ。

ポーリーンはサイレンスへの依頼金千ドルを、ポリカットの策略で作ることができず、それを知ったサイレンスは無償で仇討ちを引き受ける。
酒場でロコと戦おうとしたサイレンスは、大勢いたロコの部下の流れ弾に当たり、肩に重傷を負う。
惨事の原因であるロコは保安官ゲデオンに逮捕される。
保安官は悪党たち相手にも怯まぬ、法と良識を重んじる善人。
彼が出るシーンは荒んだ世界に人情が差し込まれ、幾分救われた気分になる。

サイレンスは、ポーリーンの家で手当てを受けていたが、やがて孤独な2人は愛し合うようになっていく。
寒い土地で心も身体も温め合うラブシーンが美しい。
全てが片付いたかように見えた終盤、映画は意外な展開を迎える。

ロコの手下たちが留置所を襲い、ロコを救出したため平穏な日は終りを告げる。
ロコの手下はポーリーンの家を襲い、傷の癒えぬサイレンスの利き手をストーブの熱で潰す。
再び町に集う賞金稼ぎたち。
傷つきながらも再びロコとの対決を決心したサイレンスはロコのいる酒場に向かう。

両手が使えぬ状態で戦うというのはコルブッチ監督の「続・荒野の用心棒(Django)」のクライマックスと同じ状況。
起死回生の大逆転が見られるか?という期待を裏切り、無惨にもサイレンスは脳天にロコの弾を受け命を絶たれる。
その場に駆けつけたポーリーンもロコに殺されてしまう。
善玉がボロ雑巾のように死ぬとは、勧善懲悪がセオリーの西部劇では考えられない終わり方だ。

映画の冒頭は、物言わぬ早撃ちガンマンのサイレンスはどちらかというとヒーローというよりは機械的で「人間らしさ」はあまり感じられない。
嘘つきで饒舌なロコの方が、人でなしでありながらも、まだ人間らしく見えるほどだ。

ところが、途中からそれが逆転する。
無言の殺人マシーンだったサイレンスは、彼自身の背景が明かされたり、ポーリーンと愛し合ったり、怪我の痛みに喘いだりと急に人間らしく見えてくる。

だが、ロコはその逆だ。
仲間が死に、自身が捕らえられた状況でも決して余裕を崩さないところが、いっそう不気味に見えてくる。
まるで天が味方をするかのように、事態がロコにとって好転していく。

終盤はサイレンスは人間に、ロコは人ではない何かに思えてくる。
機械と人間の戦いだったはずが、まるで人間と悪魔の戦いに変わったようにすら思えるのだ。
人間味のあるダークヒーローが、人間味を失っていく悪党に無情にも殺されるラストは、まるでバットマンがジョーカーに敗北するような衝撃だ。

現在の目で見ると展開がスローテンポで焦ったいのが難点だが、正義の味方が殺されるという、とんでもないラストの異色作。
「現実はそんなに上手く行くわけがない」と言わんばかりの無情さである。
そんな常識破りなところがマカロニ・ウエスタンらしいともいえる強烈な一作である。
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