【完全初心者のガンダム旅 003】
"哀しいけどこれ戦争なのよね!"
全50話ほどある元祖TVシリーズ「機動戦士ガンダム」を再構成した映画三部作の最終作。
序盤から、アムロだけでなくホワイトベース艦内のミライたち、そしてカイ、セイラといった仲間たち全体が一つのチームとして見事な戦術的連携を取り、ちょっとした敵艦隊なら苦もなく撃退する成長を見せてくれる。この登場人物たちの技術的成長の描写は見事で、富野監督の巧みなストーリーテリングがいかんなく発揮されている。
「機動戦士ガンダム」の最も際立つ特徴は、戦闘を単なる娯楽ではなく、常に"哀しみ"を伴うものとして描き切っている点だろう。「ドラゴンボール」や「ONE PIECE」に代表される多くのバトル作品では、主人公たちが強敵との戦いに笑顔で立ち向かい、成長し、また新たな戦いを"楽しむ"描写が定番となっている。悟空やルフィのようなヒーローが戦闘中に見せる余裕の笑みに、視聴者が「かっこいい」と感じるのも理解はできる。
しかし本作では、どれほどガンダムやジオングの戦闘シーンが視覚的に華麗であっても、いかに兵器の性能向上に登場人物が一瞬の喜びを見せようとも、決して戦いそのものに「楽しさ」を見出すことはない。時に皮肉めいた微笑みや宿命を受け入れるような表情が描かれることはあっても、人の命を奪い合う行為に悦びがあってはならないという、監督の揺るぎない信念が常に伝わってくる。そこに「戦争もの」としての本質的な価値と深みを感じずにはいられない。
「めぐりあい宇宙」というサブタイトルが象徴するように、本作では戦場の外での「出会い」が物語の核心となっている。両親との関係に複雑な思いを抱えるアムロと、彼の前に唐突に現れる神秘的な女性ララァの交流。モビルスーツの外で対面することになったアムロとシャア。戦火によって引き裂かれた兄妹や恋人たち—。これらの「めぐりあい」を通じて、本作は強烈なメッセージを投げかける。敵対する陣営の人々が直接向き合えば、そこには憎むべき「悪」などなく、互いに理解し合える可能性があるにもかかわらず、戦争という匿名性の暴力によって命を奪い合う悲劇。この皮肉が作品全体を通じて痛切に描かれている。
特に印象的なのは、主役級のアムロやシャアだけでなく、名もなき兵士たちの存在感。ハヤトの心に残るセリフや「美しい輝きのたびにいくつかの命が失われる」という象徴的なモノローグを通して、歴史の表舞台に立つことなく戦場で散っていった無数の命の重みが観る者の心に迫る。宇宙を彩る美しい爆発の光が、実は人々の命の消失を意味するという残酷な現実に、思いを馳せずにはいられない。この視点こそが、本作を単なるロボットアニメ以上の深みを持つ反戦映画たらしめている。
『めぐりあい宇宙』が鋭く切り込むもう一つのテーマは、「差異」を許容できない人間の醜さだ。いつの時代にも戦争の火種となってきた選民思想や差別意識が、本作ではニュータイプとオールドタイプの対立という形で表現されている。ジオン公国の「優れた新人類」という思想は、あからさまにヒトラーの名前まで引き合いに出しながら、その危険性と愚かさが徹底的に暴かれていく。人類の進化の可能性を、排他的な優劣関係へと矮小化してしまう思想の下劣さを、本作は容赦なく批判している。
壮絶な宇宙戦と、アムロとシャア、そしてララァの魂の共鳴という感動的なクライマックスを経て、初代「機動戦士ガンダム」の物語は幕を閉じる。「宇宙世紀」という壮大な物語はこの先どこへ向かうのか、そして我々は、そこから何を受け取り、未来へと繋いでいくのか—。初心者のガンダム旅はまだまだ始まったばかり。
---
観た回数:1回