つかれぐま

エレファント・マンのつかれぐまのレビュー・感想・評価

エレファント・マン(1980年製作の映画)
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メリックの母親が妊娠中に象に踏まれる回想。これは見世物小屋の前口上に過ぎず事実ではない。そんなシーンで始まる本作は、この映画自体が見世物であることに極めて自覚的と感じた。

子供の頃に見た記憶は、メリックを蔑む下層階級への怒りだったが、今観るとそれ以上に「メリックを求める」上流階級の恐ろしさに震えた。

この映画がさくさくと進み、話が呑みこみやすい理由。それは登場人物が皆、自分の利得のために動いているから、それぞれの行動原理が分かり易いのだ。主治医ですら最初は研究の為であり、慈悲の心が原動力ではない。あの女優など「私は象男も愛せる」と言わんばかり、文字通りの「名演技」ぶりで、他にも病院長など名優たちが揃って演じる「自分の利得の為の偽善」が圧巻だった。

実はメリック自身も例外ではない。
主治医は別として、彼が最も感謝しなければならない相手。それは身の回りの世話をしてくれる(おそらく下の世話も)婦長やナースのはずだが、メリックが彼らに感謝している場面はない。婦長が自分たちは感謝されない・・とぼやく場面は、そういう演出意図か。メリックは世間が(主に上流階級が)彼に求めるパブリックイメージを徐々に感じ取り、それに沿うように自分を演じていたのではないだろうか。「ロミオとジュリエット」のロミオとして。皆が「慈悲深い自分」を演じるように。

ナースたちの他に利他的な行動を見せるのが、フリークスの仲間たち。あのシーンは美しかったな。メリックがそんな彼らと友情を交わす言葉を持ち合わせていないのが哀しかった。それは聖書の一節をそらんじるより、ずっと人間らしい振る舞いになったはずなのに・・

オペラハウスでまたしても「見世物」になってしまったメリックは何かを悟ったのだろうか。そこはもう想像するしかないが、メリックの満足げな寝顔が心に残る。