レインウォッチャー

セリーヌとジュリーは舟でゆくのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
公園のベンチで本を読むジュリーの前を通りがかったセリーヌ、セリーヌの落とし物を拾って追うジュリー。
この、まさしく「黄金の昼下がり」と呼ぶべき淡い木漏れ日の中でふわりと始まる幕開けは、言うまでもなく『不思議の国のアリス』の変奏。おそらく1stショットで好きになれるかどうか決まる映画、右脳で観るべき映画だと思う。

その後、2人は一緒に暮らし始めたり、お互いがお互いになりすましたりして過ごすうちに、ある謎の屋敷へとたどり着く。そこで手に入れたアメを舐めると、2人は屋敷の住人達が暮らすヴィジョンを幻視する…

映画は、最初バラバラだったこのヴィジョンの断片を、2人が協力して集めて埋めながら進む。ミステリ的展開といえるけれど、論理的な繋がりや説明は往々にしてすっ飛ばされ、気にせず飛躍していく。『アリス』のナンセンスと、フランスらしいエスプリ感覚、70'sならではのサイケデリックの妙味が合わさって、飄々としたユーモアを崩さない。

このヴィジョンが果たして現実なのか幻想なのか、過去なのか現在なのか、現世なのか幽世なのか。ぱらぱらと周辺でヒントや伏線めいたものは見つかるものの、結局定かではない。
2人はまるでTVドラマでも観るみたいに、アメをトリガーにして再生する。その世界の中では、2人も看護師の役を2人1役で演じていたりもする。

しかし、このヴィジョンの中で大人たちのいざこざに巻き込まれて命を落とす少女の存在を知るや、2人は「ぜったい助けよう」と奮起。おまじないと勇気を駆使して、どうにかこの決められた筋に介入しようと試みる。
このあたり、2人のボヘミアンめいた気ままな生活から急に生まれた明確なエモーションに、存外胸をつかまれてしまう。その源泉は、わたしたちが愛する創作物(映画でも小説でも)に触れて何度も何度も感じてきた、「わたしだったらこうするのに!」と繋がっている気がする。そしてその感情は、過去に対する後悔や、未来に対する不安と同値なのだ。

今作は、めちゃくちゃユルい『マルホランド・ドライブ』みたいだし、意外とストレートなシスターフッド作品でもある。
3時間強と長尺で、テンポもゆったりのっぺりなのに、なぜか長ったらしいとは感じない。想像力の主導権を軽やかに取り戻すセリーヌとジュリーに、ずっと魅了されているからだろうか。終わるのが惜しかった、ちょうど離れがたい午睡の夢みたいに。