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ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習のJAmmyWAngのレビュー・感想・評価

4.0
面白いです。ポリティカル・コレクトネスが白日の下に道徳的権威性を増せば増す程、それはそれで体制的な息苦しさを感じさせつつも、あくまで個人の対外的な態度としてはそれを感じていない振りをしなければならないという、脅迫めいたポリコレ妄想へと変容していきます。

このように対象が巨大で権威的であるからこそ、それを茶化す行為は体当たり的で自爆的になり、僕がそれを笑っている間は神経質な息苦しさから解放されます。

この映画が見せているような(コメディ的手法としての)ポリコレからの脱却は、その対象を徹底的に突き放す事で笑いを生み、また行き過ぎたポリコレの重苦しい空気に埋もれてしまう「本来あるべき差異」の首根っこを超強引に捕まえて目の前に突き付けてきます。

『時間と自由』とか『物質と記憶』とかいう難しい事についてたくさん考えた挙げ句、その後は「笑い」について考え始めちゃったフランスの偉い哲学者であるアンリ・ベルクソンくんの著書、その名も『笑い』において、ベルクソンくんは「笑いに伴う無感動性」というものを指摘しています。それがこのようなポリコレお笑い問題についてその本質を結構言い当てていると思うので引用しますと、

『笑いには情緒より以上の大敵はない。
(中略)例えば憐憫とかあるいは更に愛情をさえ我々に呼び起こす人物を我々が笑いえないと言おうとするのではない。
ただその時でも数刻の間はこの愛情を忘れ、この憐憫を沈黙させなければならぬのである。
(中略)試みに、ほんのひととき、人のいうことなすことに全く心を使うようにし、想像のうちで、行為している人びとと一緒になって行為し、感じている人びとと一緒になって感じてみたまえ、(中略)魔法の杖にひとふりやられたかのように、諸君はいとも軽いものでも重くなり、そしてすべてのものに厳粛な色がつくのを見るであろう』

ポリコレ自体を批判するつもりは毛頭ないけれど、それが孕む偽善的な可能性からではなくて、あくまでこのような考え方から、あまり他者に同化し過ぎるのもアレですよねと思うワケです。同化し過ぎて大変な事になった『ムカデ人間』という映画もありましたし。

とは言え、今作のベストシーンはバカバカしさ極まる全裸での取っ組み合いです。
『イースタン・プロミス』で、ヴィゴ・モーテンセンが襲い来る敵を全裸のまま蹴散らしていく最高のシーンがあったけど、この映画では取っ組み合う男が二人とも全裸なので、単純に考えてイースタン・プロミスの二倍です。そんなのスゴイに決まっているじゃないですか。
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