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テルミンのtakのレビュー・感想・評価

テルミン(1993年製作の映画)
3.6
東西冷戦という時代に翻弄されたテルミン博士の生涯、そして楽器テルミンのその後を、90分弱の時間で描く話題のドキュメンタリー。この映画全編を通じて僕の心に浮かんだ言葉は、”ギャップ”だ。

優れた彼の研究が西側に恩恵をもたらすことをソビエトは嫌ったのだろう。しかし、彼が実際に生み出したのはあくまでも楽器だ。音を通じて人の心に平和をもたらす単なる道具に他ならない。これにどんな国家的危機があったというのだろう。創世記の電子工学を用いてそんな夢のある道具を作り出した彼の才能を、KGBは盗聴テープをクリアに聞くことにしか利用できなかった。国家と個人の考え方のギャップ、西側と東側のギャップが感じられて、観ていて悲しくなるところだ。

さらに、楽器テルミンをプレイする人々の思いと世間の受け取り方とのギャップ。クララ・ロックモアはバッハをプレイしたかった、と他の楽器と同列に考えていたのに対し、実際に用いられるのは恐怖映画の音響効果。ヒッチコックやバーナード・ハーマンに用いられたことは、それはそれで意義あることなのだけど、ソロを弾く楽器として用いられるのとは程遠い、”変わったもの”として認知させることにもなったのだろう。その両者の間に存在するのはやはり深いギャップ。手を触れずに音を出すテルミンの演奏は、おそらく大衆とって手品を見るのと何ら変わりはなかったということなんだろう。

ロック台頭とともにテルミンは様々な用いられ方をされ始める。クララたちテルミンプレイヤーたちがビーチボーイズの Good Vibration をどう思ったか、ということは映画も触れていない。だが楽器としての一般性は他と比べると乏しいにせよ、こうした”よきモノ”を使い続けていくことは大事なことだと思うのだ。もしかしたらこの映画に真の愛情を感じた人は、往年のライカを使い続けたり、アナログシンセの音や真空管アンプの音を好むような”こだわり”を理解できる人なのではないだろうか。

ラストシーンの博士とクララ。音楽を通じて得られた人の絆というものは強い。僕はそう信じているし、このラストシーンでそれを実感したのだった。
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