1998年製作公開。脚本監督ラース・フォン・トリアー。
差別者であるとかないとか、善であるとか悪であるとか、境界線を引いてしまう。もちろん自分は差別はしないし、善行の人である。こっち側であって、絶対にあっち側じゃないんだと、自分ではそう思っているし、他人からはそう思っている人であると思われたり、そう思いたいと思っている人にみられている。
自身を振り返ったって正義はどこにあるのかは自分基準でしかない。
本作の主人公は、障がい者のフリをして食い逃げをしたり、記念品を享受してりして決して共感できる集団ではない。
「善も悪もあることを心得よ」とラース・フォン・トリアーは言っているそうだけれど、制約を無くすことに善悪の解放があるんだろうか。自由というものがあるんだろうか。
空きっぱなしの時間の中で何かをすることは暇つぶしでしかない。狭い時間を塗って何かをすることにこそ自由や解放があるのではあるまいか。自由にはもれなく制約がついている。
ヒューマントラストシネマ渋谷 ラース・フォン・トリアー レトロスペクティブ2023にて