dieBananaSuki

レディ・イン・ザ・ウォーターのdieBananaSukiのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

私はシャマラン信者だ。
彼の作品が面白いから好きなのではない。彼の世界観が好きなのだ。
本作は、彼の世界観が全面に出ている。それゆえ、シャマランファンだけは楽しめるものになっている。脚本は優れているとは言えないし、絵面も地味で、シャマラン自身が準主役を張っているから、大抵の人は受け付けないだろう。だが、シャマランファンは違うと思う。シャマランの世界観、つまり彼の物のとらえ方、思想に魅了された人にとっては、本作は聖典のようなものになっているだろう。シャマランの思想が全部詰め込まれているから。ゆえに、私は面白い作品とは思っていないが、本作が大好きである。
シャマランの思想は「物語の力を信じること」「人には役割があること」の2つが主軸になっている。シャマランは自分の物語には力が、それも人を救える力があると完全に信じ切っている。だから、本作で、世界を変える本を書く作家の役を演じている。いや、演じているというよりも、そうだと思っているから、自分の役割はそれだと思っているから、演じているという感じではないのかもしれない。
上記に挙げたシャマランの思想は、傷ついた人に深く刺さるものだ。人が強烈に物語を求めるのは、現実逃避だったり、救いを求めてといった強い動機がある時だろう(もちろん退屈しのぎのためというのもある)。そんなときにシャマランの映画は深く刺さる。事実、私がそうだった。私は世界に自分の居場所がなく、自分は必要とされていないんだと感じ悩んでいた時に、シャマランの「アンブレイカブル」を見て、号泣した。物語の中で、自分と同じ悩みを抱えたキャラクターが自分の役割を見つけて泣いているのを見て、自分のことのようにうれしかったからだ。そこには、同じ悩みを抱えるものへの救済と希望があった。自分には役割がある、その役割はある物語の中に配置されていて、そしてその物語は希望と救済をもたらし、誰かにいい影響を与える。いい世界の見方だと思った。
物語があって、その物語の中に私たちは配置されていて、果たすべき役割が存在する。
そんなことを雄弁に語るシャマランが、彼の物語が私は大好きだ。
レディインザウォーターとは関係ない長文になってしまった。いつか考えをもっとまとめたいな。乱雑になってしまって申し訳ない。