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隠された記憶のn0701のネタバレレビュー・内容・結末

隠された記憶(2005年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

観察される者、それを伝える者。
奇しくもそれは映画を見る視聴者と映画の制作者の構造に近い。
冒頭、ラスト、長回しで描かれる家と学校。それは謎のビデオカメラに収められた観察の記録である。テレビの司会者である男は妻と子どもと暮らすどこにでもいる親子だ。ただし男は常に見られる存在である。

隠された記憶とは、誰もが抱いている原罪を指している。男も、その妻も、フランスという国さえも。

男にとっては6歳の頃の記憶。
養子に迎えたアルジェリア人の子どもを施設に追いやった。その顛末は描かれないが、その結果、彼は苦渋の人生を余儀なくされる。

差出人も要求もないビデオテープと絵、ハガキ。男はそれに自分の過去を回想し、意味づける。あたかもそれが自分が犯した罪の復讐のように思い込む。

つまり、犯人をアルジェリア人の養子だと思い込む。ビデオと一緒に付いてきた子どもの首が掻き切られる絵に6歳の頃の記憶が蘇ったからだ。おそらく、鶏の首を捌いていたことと、養子が施設に入れられたことは深い関わりがある。

だが、結果からすると、犯人と思われていたアルジェリア人は男の目の前で首を掻き切り自殺する。

しかし、アルジェリア人には息子がいた。

ラストシーンでも、ビデオテープ、手紙の犯人は分からない。そもそもこの映画に犯人は存在しないのかもしれない。

つまり、隠された原罪を暴くことそのものが、謎の正体なのである。フランス政府によるアルジェリア人への迫害、差別主義、不倫、心の何処かにある偏見、欺瞞、利己的な主義、主張、肯定、その全てが、(誰かに)見られているのである。

しかし、定点されたビデオテープは分かるが、車から撮られた映像は毛色が違う。これは言わば別の視点、原罪を暴き、確信させるものになっている。しかも、誰もが分かる情報ではなく、確信を持って描いている。

指向性の問題だ。
これは、フランス自体の原罪を焙り出す映画の仕組みと、男の中に眠り、隠されていた記憶を蘇らせる2つの指向性を孕んでいる。

故に、映画として、その2つの指向性を完了させたとき、物語は終演する。
ビデオテープを送りつけたことそのものに目的などないのかもしれない。つまり、描くことで、暴いてしまう指向性そのものが重要なことだからだ。
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