ワンコ

暗殺の森のワンコのレビュー・感想・評価

暗殺の森(1970年製作の映画)
5.0
【人の価値】

この作品の特徴は徹底した対比だと思う。

午前10時の映画祭の上映で町山さんの解説付きだった。

町山さんは、ファシズムを結束主義と最初に解説していたけれども、その背景にはイタリアの独特な歴史的背景がある。

イタリアはムッソリーニが登場するまで、過去に小さな都市国家が複数あった名残を残す緩やかな繋がりの国だったのだ。

ベネチア共和国、ミラノ公国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェ公国、シエナ公国、ナポリ王國…、他にも教皇領があったりして、こうした名残がずっと、実は、今でもあるのだ。

それをムッソリーニにが、同じイタリア語を話すとか、ルネサンス文化をベースにしているとか、そうした共通のアイデンティティを見出すことによって、多様だったことを、バラバラな対応で重工業化や植民地政策などで遅れをとっていることを強調し、ひとつの国としての体裁を整えていくことになる。

ドイツはビスマルクのリーダーシップの下、普墺戦争を経て、統一ドイツとして第二次産業革命とも呼ぶべき重工業化を達成していたが、第一次世界大戦での敗戦による天文学的な賠償金の支払いを課され、ナチスが台頭、別の形のナショナリズム、ナチズムが拡大していた。

町山さんが解説されていたように色使い、光と影の効果的な利用によって物語性は高まるが、同性へのほのかな恋心ともつかない気持ちをもってしまったことの延長線上にあるのだろうか、どこかマッチョになりきれないマルチェロと、粗野で男まさりなアンも一つの対比だ。

有名なダンスホールでのシーン。
楽しく踊る人々と溶け込めないマルチェロは対比だが、これは、複数の都市国家の名残を残す多様なイタリア文化と、ファシズムによって孤立していくイタリアを示唆するメタファーでもあるように思える。

人助けをしようとするクアドリと、殺害目的で集団暴行におよぶイタリアファシストたち。

それを傍観してるだけのマルチェロ。

助けようとしたクアドリとアンにさえ手を差し伸べることのないマルチェロ。

本来は多様で底抜けに明るい感じのイタリアにとって、中身の伴わない民族主義に裏打ちされたファシズムとは一体何だったのか。

文化としての多様性のみならず、個人の多様性までも奪ってしまう民族主義や国家主義、ファシズム、ナチズム、そして、現代でも多様性に真っ向から対立し勢力を伸ばそうとする民族主義的専制主義、民族主義的共産主義、宗教原理主義とはいったい何なのか考えさせられる作品だと思う。
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