ルサチマ

お茶漬の味のルサチマのレビュー・感想・評価

お茶漬の味(1952年製作の映画)
5.0
3回目。女だけのグループショットの形成と階段上に出入りする男、台所が性差を凌駕する普遍的空間として広がり、女性部屋の充実した家具の数々など、極めて小津的男女の逆転が生じている奇妙な映画。しかしながらこれは異例などではなく、紛れもない小津映画の流れに位置する。

それは、お茶漬をともに食べることよりも、お見合いを抜け出した先で食べた安いラーメンこそが、「食べること」の主題について考える手がかりを与えてくれることから明らかだと言える。

お見合いから抜け出した津島恵子と鶴田浩二の間で共有される安いラーメンがその後の焼き鳥屋を食べに行く約束を果たすきっかけとなっていることから、庶民的な味覚が男女に共有されることがこの映画において重要と言うことを予兆として提示されていることは誰もが判る。

しかし、ただそれ以上にこのラーメンが決定的なのは「焼き鳥屋」への約束を結ばせたことそのものだ。より明確に記述するなら、飯のために空間の移動をすること。それこそがあらゆる小津映画の「食べること」の主題と一致する問題だ。

安っぽい庶民的な味覚をわざわざ食べに空間を移動するその経験が男女を狭い空間(ラーメン屋のカウンター席、そしてお茶漬けを探す台所)へ誘うのであり、若い津島恵子と木暮実千代で異なる部分があるとするなら、津島恵子には食べることが次なる空間移動の約束を導くのに対し、夫婦関係にある木暮実千代の場合は、約束を結ぶかわりに、食べ物を探し、そして運ぶまでが行為として描かれることだろう。

恋愛関係を予見させる男女はあくまで、宙吊りの空間への移動を約束し、その約束が決行されるかどうかも宙に吊るされているが、夫婦においての「お茶漬けが食べたい」という言葉は空間の移動を実体としてフィルムに焼き付けている。

そして「食べること」とはまた別に、この映画の淡島千景の夫への振る舞いがとても奇妙であることも興味深い。

金を借りにきた夫に金を一度貸した後、「ちょいと」といって、木暮実千代の目から離れ、階段を降りようとする夫から金を返すように要求する。この素振りは一体なんなのか?いい夫婦を装っていることは明確だが、それだけでは済まされない奇妙さがあるとするなら、夫がやってきた時のノックに対し、扉の方も向かず「はい」と応答する淡島千景のこれまた少し奇妙な芝居がどうやら関係しているように見える。

夫がやってくることは分かっていて、あたかもいつも通りのように振る舞おうとしているかのような「異化」が生じているとだけ記憶し、再度見直す必要がある。
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