泥dolo

反撥の泥doloのネタバレレビュー・内容・結末

反撥(1964年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ロンドンで姉と共に暮らすキャロルの周り、そして彼女自身の退屈な人生に変化が起こる。
発端は姉が愛人とイタリア旅行に行ったこと。姉に依存する生活能力の無いキャロルはウサギの肉やジャガイモをどうしたら良いか分からない。そんな中、恋人のコリンに執拗に迫られ嫌悪感を露わにする。
ある日コリンがキャロルの家に鍵を壊し侵入してくる。キャロルはコリンを殺しバスルームで水漬けに。ウサギの肉は腐り、ジャガイモには芽が。部屋もどんどんと汚くなり、以前から悩まされていた壁のヒビやレイプの夢も次第に酷くなっていく。

<視覚>
モノクロ映像だからこそ味わえる鮮やかさ。キャロルの着ているネグリジェやワンピースから透ける体のラインや足が美しい。
広がる壁のヒビ(精神崩壊の様子)
広い家の狭い廊下から伸びる無数の男性の手(キャロルの胸を揉んでくる)
やかんの中に映る自分(奇妙な形に伸縮する)
床のヒビ(じっと見つめるキャロル)
迫ってくる壁もあった。あのシーンは深く共感する。ずっと壁を見つめていると、壁と自分の距離がどんどんと近くなっていく感覚に陥る。

<音>
アトモスフェリックな音が効果的。はじめのほうのキャロルが歩く時の音大好き。
修道院の鐘
ハエの羽音
電話のベル
部屋の呼び鈴

<構成>
レイプや殺人のシーンで無音になる演出が好き。静かなる狂気が存分に描かれている!キャロルの記憶なのか夢なのか、はたまた空想なのか、さだかではないが、時々カットインされる広々とした屋敷は昔のブリュッセルの家か。

<反撥>
彼女自身への反撥
キャロルは男性への嫌悪を抱く一方でささやかな興味も持ち合わせていた。自身の女性性やエロティシズムへの反撥

男への反撥
おそらくキャロルは父親にレイプされ、そこから男性恐怖の症状がある。
キャロルは街を歩くだけで男性を魅了する。その無防備で白痴な瞳で男性を引き寄せる。本人に自覚がなくても、そして父親でさえキャロルを女として見る。それも食べるためのウサギの肉のような価値を見出して。
反撥虚しく、最後の最後、妻子がありながら愛人とイタリア旅行に行くような男に、ニタニタと抱きかかえられてしまうキャロル。不憫でならない。こいつも殺してやれ!と思いましたね。不快感!トキメキ100パーセント

ここまで神経症ではないが共感できる部分がある。男性はいつも超えてこようとする。鍵のかかったドアや隔てるガラスの窓を飛び越えて迫ってくる。

「ヒビ割れをなおさなくちゃ」
泥dolo

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