耶馬英彦

風が吹くときの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

風が吹くとき(1986年製作の映画)
4.0
 録画だったが、テレビで森繁久彌がある告白をしたのを聞いたことがある。うろ覚えだが、次のような内容だった。「屋根の上のバイオリン弾き」の舞台を上演したとき、最前列に座っていた観客が、ずっと目を閉じて眠っているように見えた。芝居が終わって最後の挨拶のときに「あなたずっと寝てましたね」と、その観客に声をかけた。するとその人は「私は目が見えませんが、芝居はとても感動しました」というような内容のことを言った。森繁はそれを聞いて自分の不明を恥じ、その人の優しさに泣いてしまったそうだ。

 森繁の声を聞いたのは、それ以来だと思う。本作品では普段の張りのある声ではなく、感情を抑えて理性に依拠したインテリの声で芝居をしている。しかし、共演する女優に「一回どう?」と声をかけていたという好色な噂もあった彼の、そこはかとなく艶のある声でもある。天真爛漫な妻ヒルダに対するジムの飾らない愛が滲み出ていた。

「いまは科学が進んでいるから」がジムの口癖だ。ヒロシマ・ナガサキの頃はまだ科学的な対処が不十分だったと思っている。最新の科学に基づいた政府の方針に従えば、きっと原爆の被害からくぐり抜けられると信じている。そしてヒルダは夫を信じて従う。

 しかし戦争を起こす政治家が信じられる筈もない。政治家の役割は共同体の人民を守ることだ。決して共同体を守ることではない。国ではなく、国民を守るのだ。それが民主主義である。国を守るのは国家主義であって、民主主義とは正反対である。

 憐れなジムは、民主主義者でなく、国家主義者の政治家を信じてしまった。科学を信じるジムは、科学が原爆を作り出したことに思い至らない。しかしジムを信じるヒルダは、ジムに言う。「あなた、ありがとう」
 政治家がこんなふうに善意の夫婦を原爆の被害者にしていい筈がない。しかしその政治家を選んだのは、ジムを含めた有権者だ。哀れ過ぎる話だが、この夫婦は、有権者の典型として描かれている。哀れなのは我々、世界中の有権者なのだ。

 間もなくヒロシマ・ナガサキの79回目の原爆記念日が来る。この79年間、世界はちっともよくなっていない。むしろキナ臭くなり、悪くなっている気配が濃厚だ。それでもこの時期に本作品がリバイバル上映されたことは、意味のあることだと思う。
耶馬英彦

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