レインウォッチャー

ある結婚の風景のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ある結婚の風景(1974年製作の映画)
3.5
なんでも、《腐敗》と《発酵》は本質的に同じ現象なのだ、ときく。時間をかけて微生物が物質を変化させるのは同じで、その成果物が人間に都合が良いか(食べられるか)どうかだけなのだ、と。

もしかすると、夫婦(家族)関係にも同じことが言えるのかも?…なんてことを、この作品からは考えてしまったりする。
I・ベルイマンが手がけた50分 × 6話 = 計5時間のTVドラマシリーズで、円満に結婚10周年を迎え、一時は「問題がないことが問題」とまで言われていたとある夫婦の崩壊とその後までをゼロ距離射程で描いていく。淡々・深々・爛々と。

崩壊、と書いたけれど、その過程は緩やかだ。友人夫婦の離婚や愛人の存在といったきっかけと言えそうな個別の出来事は確かにあるものの、その変化じたいはずっと前から始まっていて、かつ誰も他人事では居られない、まさに腐敗=発酵プロセスの如く内側から進行していった現象であることがわかってくる。
派手でわかりやすい爆発が起こって風景が一変するわけではなく、気づけば花は萎れ、枝は落ち…気づいたときには目の前の相手の姿は(そして自分自身も)記憶のそれとまるで違っていて、後戻りができない…。

そもそも結婚なんてのは財産管理のための効率的な「システム」でしかなかったところ、《愛》なんて実体のない概念を力業でねじ込んだときから歪みが生じ無理が祟るのは約束されているわけで、他者同士が同じ空間に暮らし続けることは初めからグロさと狂気を孕んでいる行為なのかも、とも思えてくる。

しかし、今作は離婚という節目の「後」もまた見据えていて、そこにはマチガイだらけに見えつつもどこか安定した、奇妙とも言えるバランスの到達点がある。
これが果たして腐敗なのか発酵なのか…は、当事者以外には口出しすべくもなく、そんな神も想定しなかったであろう可能性を追求できるところに人間関係の滋味とおかし味があると言えるかもしれない。枯れるしかないと思われた花が、ドライフラワーになって異なる美しさを残すことがあるように。

この手の《夫婦地獄》映画には、それこそ『レボリューショナリー・ロード』や『マリッジ・ストーリー』など後年の傑作も多い。が、それらと比べても攻め具合はまるで遜色がない。(し、どの作品の作り手もきっと今作を参照してるだろう)
むしろ、時間のほとんどを室内での夫婦の会話シーンに費やした構成はかなり挑戦的で、ベルイマン映画らしい幻想や夢との交感もほぼ封印、ストイックでミニマルとすら言えそう。故に逃げ場はなく、自分でも不思議なほど退屈しなかった。

演者ファーストで演劇的と観ることもできるだろうけれど、突如のズームやパンによる緩急が時にはなんともいえない引き笑いすら生みつつ、これがあくまでも「観(せ)たいものを切り取って観(せ)る」映画である、ことを意識させる。そして、これもまた夫婦の原則マナーと重なるのかも。(なんでも曝け出せるのが良いこと、なんて大嘘だ。)

今作を楽しみ尽くせたか?ときかれたとき、胸を張って首肯できるほどわたしはまだ(幸いにも?)オトナではないのだけれど、良いボキャブラリーをひとつ獲得したな、という気持ちは強い。
2021年にHBOドラマでリメイク(O・アイザック&J・チャスティン)もされている。とはいえ、ちょっとあと10年くらいはこのオリジナル版の消化に時間がかかりそうなので、それまではお預けで良いかな。

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しかし今作に限らないことながら、妻役L・ウルマンさんとベルイマンさんの関係を知ると、いったいどういう鉄メンタルでお仕事してたのか深淵すぎてこわい。

EDで毎回「それでは島の風景をお楽しみください」つってクレジットと共にキレイな映像が流れるのだけれど「いやそれで中和するのは無理じゃ」ってわたしの中のノブが叫んでた。