せきとば

スラムドッグ$ミリオネアのせきとばのレビュー・感想・評価

スラムドッグ$ミリオネア(2008年製作の映画)
3.8
A.R. Rahman / O… Saya feat M.I.A

クレイジージャーニーが打ち切りになった。川崎のリアルの一片を切りとったBAD HOPの回は結局関西で放送されずじまいだった。

なんとなく隙間が空いた気もする時間にこの映画を思い出す。

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当然ながら人は見ているものだけを見ているし、見たいものだけを見ている。警察はジャマールの無学さを嘲笑う一方で街の全員が顛末を知る些細な事件の犯人すら掴めていない。

未だ日本には飢えや文盲などは存在しないと信じたい人々にとって、真隣で起こっている貧困は見えるはずもなく、そしてそれが何かすらも知らず、自分だけはそうなるはずがないと胡座をかき、貧困からの喘ぎを慰みの種にしている。

人を殺すかラッパーになるか、もしくは人に殺されるかTVショーでヒーローになるか。インドのスラムの描写に打ちのめされた人にとってはさらに信じがたい話だろうが、この映画のリアリティは本来ほんのすぐそこにあるのだ。

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ジャマールは仕込みを疑われ、クレイジージャーニーには仕込みがあった。人は現実を無視して見たい真実にすがりたがる。あたかもそれが事実であるように。

目で見た事すらリアルとは限らないから、人は人を求めて目を増やすのだし、だからこそ人は人を大切にしなければならない。見えないものを見ようとすることこそが豊かさで、見えないものの目になることが優しさだ。そしてそれを信じ続けることが愛になる。

ヤラセの自供と殺人の自供の外側に、我々はなにを見出すことが出来るだろうか。何かを見出そうとしているだろうか。


今日も100ドル札には同じ肖像が描かれ、川崎ではラッパーが誕生し、加藤英明は地球の全貌を追っている。
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