SANKOU

十九歳の地図のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

十九歳の地図(1979年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

住み込みで新聞配達をする吉岡まさる19歳。
配達先では犬に吠えられたり、集金をふんだくられたり、憐れみの目を向けられたり。
彼は配達先の情報を細かくノートに記し、精密な地図を作り上げる。
地図にはバツ印が増えていくばかり。
そしてその一軒一軒に嫌がらせの域を越えた脅迫電話をかけていく。
とにかくこの映画で描かれるのは人間の、社会の醜い部分ばかりだ。
人によっては彼らを人生の敗残者と呼ぶのだろう。
ギャンブルに溺れ、口からでまかせばかりの同僚紺野は、吉岡にとって軽蔑すべき大人の象徴だ。
それでも何故か彼はいつも紺野と一緒にいる。
下宿の向かいではいつも夫婦が激しい喧嘩をしている。
もっとも怒鳴り声が聞こえるのは妻の方だけで、決まって最後には夫に暴力を振るわれて泣き寝入りする。
紺野は何とか助けてあげられないかと呟くが、吉岡の言うように結局妻の方も暴力を振るわれることで生きがいを感じているのだから他人にどうこう出来る問題ではない。
人間とはつくづくおかしな生き物だと感じる。
紺野がマリア様と慕う女は自殺未遂により片足が不自由なのだが、まるで自分を傷つけるためだけに生きているようだ。
もっとも人間とは傷つき傷つけるために生きているのかもしれない。
妊娠したマリアと駆け落ちをするために紺野は引ったくりを繰り返し、強盗の現場を押さえられて刑務所に入れられる。
マリアは吉岡に罵られ自殺しようとするが、いつもどうしても死ねないのだと号泣する。
吉岡はそんな醜い人たちをいつも斜に構えて見ている。
が、彼には人を殺す度胸もなければ、人の傷に深く踏み込む度量もない。
精密に作り上げられた地図は、まるで何か大きなテロを起こすための道具にも見えるが、せいぜい彼に出来るのは爆弾を仕掛けたと脅迫の電話をかけるぐらいだ。
実は彼が軽蔑する紺野やマリアの方が、みっともなくはあるものの、本気で人と関わり傷ついている点では立派な生き方なのかもしれない。
そして吉岡は「どんな具合に生きていけばいいのか分かんねえよ」とうめき続ける。
それもまた人生の苦しみなのだ。
吉岡はいつものように新聞を片手に走り続ける。
ゴミ捨て場からまだ綺麗な洋服を見つけ出し、嬉しそうにそれを掲げるマリアの姿が印象に残った。
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