湯っ子

仮面/ペルソナの湯っ子のネタバレレビュー・内容・結末

仮面/ペルソナ(1967年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

オープニング映像がすごくて…ビリビリって、感電した気分。きっとこれを若い頃の私が観たら、確実にピカチュウの10万ボルト喰らったみたいになっただろう。自分の感受性も年齢とともに変化しているんだと実感する。鈍ったような、頼もしくなったような。
ベルイマン作品ニ作め。フォロイーさんから、聖職者である父親から虐待されて育ったと教えてもらっていたので、キリスト教のモチーフを暴力的に観客に見せつけてくる感じがあるのに納得する。私がわかったのは解体される羊と、掌に打たれる釘くらいだったけど。どちらもイエス・キリストを表現してるんだろう。それと、サブリミナルみたいに最初の方に一瞬あらわれる男根の絵が、やはり父権主義であるキリスト教を思わせる。ユーモラスささえ感じる、そそり立つ「イチモツ」っていう感じのもので父権主義を暗示してるのだとしたら、そこにベルイマンの父親への怒りを感じるし、同時に男性である自分にも、怒りや滑稽さを感じているんじゃないかと思ってしまった。
オープニングでこれはベルイマンの心の中を映像化したものだと感じたので、女ふたりの物語が始まってもやっぱりベルイマンの物語に思えた。乱交して堕胎する女、堕胎を試みるが叶わず生まれた子に死んでくれと囁く女。ともに子を愛せず棄てた女だった。そしてその棄てられた子供がベルイマン。タイトルから連想する人間の中の多面性というよりも、女ふたりの魂は同じで、それが別の肉体に宿ってるみたいに感じた。
ふたりの女以外に登場する女は女医で、この女医の言葉に癒しはなく、辛辣で容赦ない。だけどたぶん真実。男はひとり登場するが、冒頭のイチモツ以下の存在感。冷酷な女、滑稽な男、愛されず棄てられる子供。ベルイマンはこの絶望を作品に昇華させることで救いを求めているのだろうか。女たちの会話に「芸術は心を慰めてくれる、特に傷ついた人の」みたいな台詞があった。そんな優しげな台詞とは相容れないように見えるけど、自分の傷を広げて見せつけることで救いを求める、というか、そういった表現をせずにいられないのがベルイマンなのかなぁと思った。
ベルイマンを連呼してしまったけど、たぶんこの作品がそうさせてしまうくらいベルイマンなんだと思う。とか言ってるけどまだ入門したての勉強中です。
湯っ子

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