ルークシュポール

怪傑ダントンのルークシュポールのネタバレレビュー・内容・結末

怪傑ダントン(1921年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

youtubeで見た。ビューヒナー『ダントンの死』の映画化らしいが、原作にないシーンだらけ。逆にどこにビューヒナー要素があるのか聞いてみたい。
ロマン・ロランあたりも入っているのだろうか。
(以下妄想・あるいはつじつま合わせにつき注意)

カミーユ・デムーランがかわいい。ギター演奏シーンは目の保養。ただ少年時代いじめられていたロベピを助けたのがカミーユというロベスピエールの回想シーンがあったが、その後の成人カミーユは怯える・失神するシーンだらけなので説得力に欠ける笑 それとも意図的なのか?
ロベスピエールがかなり感情的になっていて(大事な友達を奪った上堕落させたダントン絶対に許せん、みたいな)サンジュストの方が冷静に(個人的にカミーユを嫌っていたとしても笑)あくまで彼らの処刑は共和国のためで、痴情のもつれ笑のせいではないと振る舞っていたのかな

ただ結局ダントンの人間像がよく分からなかった。恐怖政治に抵抗する人類の英雄として好意的なのか、ジャイアン的享楽主義者として非難の目で描かれているのか。(エイゼンシュテインはドイツ版では二面性が持っていたものの、ソ連版では隠されていたと言っていた) ただヤニングスは両面を茶目っ気や愛嬌も持たせつつ圧倒的な迫力で演じていたと思う。

あと女性陣の区別がつかない。
前半でダントンと関係を持った女性、スチル写真が掲載されているサイトにはリュシル役の俳優の名前が記載されていたがストーリーを考えるとおそらく彼女ではない。直後がカミーユの結婚式シーンなので、なぜカミーユとリュシルは結婚したのか分からなかったが、別人なら納得。史実や他の革命ものの大部分と違い、カミーユとリュシルはラブラブではないものの逮捕のシーンで気絶するくらいには夫婦関係は良好だった。
リュシルは結局民衆を追い払ったダントンに対し、単に感銘を伝えたら気があると勘違いされたということで合ってるのだろうか。だとするとやっぱりヤニングス・ダントンはジャイアンなのか。(リュシルがカミーユに愛想をつかすシーンはないし)
また勝手に二人の仲を邪推したジュリーは家を追い出された腹いせにサンジュストにチクった(何を?)ということか。
またラストシーンの女性もリュシルで良いのだろうか。

ダントンとカミーユの最期の抱擁に同性愛的なものを感じてしまった。(俳優の演技のせいと、なぜか牢獄で二人だけ着衣が乱れシャツがはだけてるので笑)カミーユがダントンに想いを寄せていたのではないかと思った。リュシルの行動にも辻褄が合うし。彼女夫が同性愛者だと気づき(カフェのシーン)、カミーユの思いを成就させようと奮闘し(ロベスピエール訪問のシーンなど)、牢獄でそのことを伝えようとしたら(怯えるカミーユを前に「何とかしてよ」と目線を向ける)自分に気があると思い込んだままのダントンに接吻されてしまった??
結局ダントンはカミーユにaffectionしか抱いていなかったのか。じゃあなんでダントンはカミーユをロベスピエールと会話もさせず問答無用で決して離そうとしなかったの?性質はどうであれカミーユに対する独占欲はすさまじかったな。いずれにせよダントンはカミーユの思いをあの抱擁とその後の会話で受け止めたと思っておきたい、じゃないとあまりにも救いがない。無声映画の美点は、観客が自由に考えられるところだ。


あと良かったのはバベット(民衆の仲間?と再会してドレスなどを捨てるシーンの切なさ。貴族への反発とエローへの愛)と、ヴェスターマン将軍の白黒映画特有のビジュアル(でも女性の扱いは酷いくせに、カミーユには妙にベタベタしていた)。ロベスピエールの衣装の襟高すぎて笑った。俳優の写真見るまでそういう輪郭だと思った笑

余談だが、エイゼンシュタインによればソ連版は大幅にモンタージュ編集がされていて、カミーユ処刑→ダントンがロベピに詰め寄りロベピが泣いて終わり、だったらしい。
カミーユだけ死ぬのはかなりのバットエンドのような。

と色々文句はあるがアナーキー(彼らは無政府主義者ではないけど)でロックンロールを感じる、フランス革命映画の中でもかなりお気に入りである。