'77映画。橋によじ登ったりカーセックスしたり。何でもアリな空気感がいいね。
パルプフィクションぶりに見る若々しいジョントラボルタ。
ディスコミュージックと赤青黄の華やかなライティングがなんとも似合う。
エンタメだが時代背景も如実に滲み出る。
社会状況。家庭内。宗教。ジェンダー。ドラッグ。これも丸ごと青春かなぁ。
まさにそんな中を生きる若者たちだからこそこそディスコが映えるのだろう。
また男女の出会いはこう激しく根源的に惹かれてあるべきだよね。
用意したコンドームも虚しく。またこれも一つの青春。
「それが世間だよ。殺し合いだな。道を開けてくれるやつなんかいない。どこもそうさ。自分のことだけさ。競争社会だよ。」
社会の不安定さ、家庭内の窮屈さゆえにディスコ、サイケデリックや性に逃げ明け暮れる。
この頃のアメリカの若者たちの心情が読み取れる描写が端々に。
「どこか他所に本当の幸福があればなと思う。
踊りなんて今のうちだけのものだし。歳を取れば何も感じなくなる。」
一人のときに押し寄せる波と、思ったより優しい世界。映像表現から間接的にキャラクターそれぞれの葛藤が伺い知れる。
しなやかで激しい腰の動き。紛れもなく、自らの意志で踊る。
ダンスって非言語的なコミュニケーションだからこそ色んな役割を内包していると思う。
昨日の夏祭りで見た盆踊りにもなんか通ずる気がする。
「何もかもインチキだ。みんなが逃げている。荷物を人に押し付けあっている。
それの繰り返しだ。」
現代では逃げる場所すら用意されていない気がするなと思いながら。
何でも自分次第、儚い夢に踊らされ、いつのまにか立っている場所。足元の悪い橋の骨組みを渡っているように危険で不安で心許なく感じる瞬間は何度もあった。
"ナイトフィーバー 夜は俺たちのもの"
"生きている実感がここに"
鑑賞後映画のポスターが心なしか悲しく見えるのは気のせいか。
⚠️以下ネタバレ
仲間の死の後、彼女の家のドアの向こうに佇む落ち込んで小さくなったトニーが一番19歳に見えた。