シゲーニョ

サタデー・ナイト・フィーバーのシゲーニョのレビュー・感想・評価

4.0
たまたま耳に入った主題歌や劇中歌が気になり、作品の内容はなんとなくしか判らないのに、映画館に足を運んだ経験がある方はどのくらいいるのだろう…。

例えるなら、巷で四六時中そこかしこに流れるセリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」を聴いて、「船が沈没する映画なんだなぁ…」くらいの知識で「タイタニック(97年)」を観に行ったり、最近ならば、いろんなメディアでヘビロテのAdoの「新時代」が好きになって、原作マンガもTVアニメもほとんど見たことないのに「ONE PIECE FILM RED(22年)」を劇場に観に行く感じだろうか…。

自分にとってのそんな映画が、「サタデー・ナイト・フィーバー(77年)」である。

その内容は、ニューヨーク・ブルックリンを舞台に、週末、ディスコで踊る以外冴えない日々を送る19歳の青年トニー(ジョン・トラヴォルタ)がある日、魅力的な年上の女性ダンサー、ステファニー(カレン・ゴーニー)に出会い、賞金のかかったダンスコンテストに挑戦するなど、様々な体験をしながら成長していくビターな青春を綴ったドラマ。

きっかけは、ラジオ関東(現ラジオ日本)で毎週土曜の夜10時から翌朝の3時までOAしていた「全米トップ40(72年〜86年)」。
元々はラジオ&レコーズ誌のチャートをベースに、番組独自に集計したランキングを紹介する米国のラジオ番組で、ケイシー・ケイサムのDJはそのままイカしつつ、それを音楽評論家の湯川れい子と今泉圭姫子(愛称スヌーピー)らが生放送で解説。

自分は小学5年の頃から聴き始め、日曜の午前中は寝不足でゾンビ状態になるも、高3ぐらいまで毎週欠かさずチェックしていた程のヘビーリスナーだった。

その「全米トップ40」、遡ること1978年2月末のランキング。
ベスト10にビー・ジーズの曲が、なんと3つも(!!)チャートインしたのだ。
4週連続1位となった「Stayin’ Alive」を筆頭に、「Night Fever/恋のナイト・フィーバー」は先週の17位から8位にジャンプアップ。「How Deep is Your Love/愛はきらめきの中に」は10位ながらも、77年のクリスマスイブに1位となって以降、年越しで3週連続No.1の大ヒット曲。

ラジオから漏れ聞く情報によれば、これら楽曲は「サタデー・ナイト・フィーバー」という映画の挿入歌とのこと。
当時、洋楽&洋画にことさら興味を持っていた中二の自分としては、「コレは絶対に観に行くっきゃない!」と心に決め、今のようにネットでストーリーや予告編が簡単に見られないため、「ロードショー」や「スクリーン」といった映画専門誌を片っ端から読み漁ったものの、ポスターやチラシを飾った、襟の大きい黒シャツに白のダブルスーツをビシッと決め、天を指差すあの独特なポーズの印象が強すぎて、“ディスコで週末バカ騒ぎする若者たち”といったアッパーイメージしか湧いてこなかった(笑)。

さて、その凡そ5カ月後、全世界で過去最高の4000万枚を叩き出すメガヒットとなったサントラ盤(LP2枚組)を擦り切れるほど聴きまくって臨んだ、劇場での初鑑賞となる訳だが…やはり最初に気になるのは、本篇中での曲の使いどころ。

メインタイトル明けに映し出される、ブルックリン南部のベイリッジ86番街。
その舗道を練り歩くワインレッドの革靴から、「Stayin’ Alive」の歌詞「歩き方でわかるだろ?/女が夢中になる男さ」にドンピシャのタイミングで合わせた、トラヴォルタの顔を捉えるティルトアップ。
この巧みなカメラワークは、決して大袈裟ではなく、冒頭から観ている自分を劇中に一瞬で引きずり込む程のビジュアル・ショックだった。
(すらりと伸びた長い手足のスリムなスタイルながら、若干ケツアゴで馬ヅラなトラヴォルタの御尊顔のインパクトも併せてだが…笑)

次に、夜の街に繰り出そうと身支度するトニーのBGMに流れる「Night Fever/恋のナイト・フィーバー」。
部屋の壁中には、当時のハイティーンにとって「カルチャーアイコン」だった、ブルース・リー、ファラ・フォーセット、「ロッキー(76年)」、「空飛ぶ鉄腕美女 ワンダーウーマン(75年〜79年)」等のポスターが、所狭しと貼られている。

そして黒いブリーフ一丁でドライヤーで丁寧に髪をセットし、金のネックレスをかけ、鏡の前でポージングするトニーの姿を、顔のクローズアップ、ローアングル×2カット、後ろ姿のワイドショットと計4回もネチッこく見せる編集に、中坊ながら「ホモセクシャルな臭い」を微妙に嗅いでしまった訳だが、今となってはオトコにとっても「鏡は人をたぶらかし、虚飾へと駆り立てる魔法の道具」と思える印象深いシーンだ。

(因みに、鏡を見ながら、顔の前で両手をクロスするトラヴォルタの元ネタは、欧米に初めて香港クンフー映画の存在を知らしめた「キング・ボクサー 大逆転(72年)」で、主人公が両手を光らせる必殺拳の構えだと勝手に思い込んでいるのだが、今のところ同様の指摘をしている御仁は一人として見当たらない…)


最大のクライマックスは、中盤の「You Should be Dancing(75年)」だろう。
この曲はビー・ジーズが本作のために書き下ろしたものではないが、彼らがそれまでのバラード調からディスコサウンドにシフトし始めた頃に作られた楽曲。

トニーは馴染みのディスコで踊り始めるなり、フロアを一掃し、他の客は後ろに下がって、彼に瞬きもせず注目する。
「寝転んでいる場合じゃないぜ/目を覚まして起き上がるんだ/踊らなきゃダメさ!踊るんだよ!」の歌詞に合わせて、しなやかな上半身をくねらせながら、バス・ストップ、スプリット、シザースといったステップを踏むトニー。

リズムに乗って折った膝をフロアに付けては立ち上がるという神業は、ディスコティックという妖しい光の大海を支配した、まさに「キング・オブ・ザ・ダンス・フロア」の様相に見えてくる。

特に右手を横にかざし、人差し指を立てて右から左へとフロアの客を指し示す仕草は超絶カッコよく、実はこのワンカットは初号試写ではカットされ、それを観たトラヴォルタが「絶対に必要なカットだ!」と強く進言したことによって、復活した曰く付きのショット。

そして、今回再見して改めて感じたのは、MGM時代のフレッド・アステアのように全身の映ったカットがほぼ全体を占めていること。これは代役を使って誤魔化すことを拒否した表れであり、(近影では微塵も感じられないが…)トラヴォルタのトップアスリート並みの運動神経の良さと、約9カ月に渡る長期ダンスレッスンの賜物であることがわかる。

このように書くと、本作が「日頃くすぶったペンキ屋の兄ちゃんが、週末になるとパシっと決めてディスコへ繰り出し、王様気分を味わっている、単なる能天気なディスコ映画」と思われるかもしれないが、実際に観ると、ブルックリンという地域柄の鬱屈した若者像、もがきながら生きている「青春ドラマ」の色合いが濃い。

冒頭のファーストカット。
ブルックリン橋を挟んで、低い屋根の住宅街が目立つブルックリン、その奥に高くそびえた摩天楼の街マンハッタンが映し出される。これは本作の主題を表す重要なショットで、2つの世界が如何に近くて、如何に遠いかをワンショットで表している。

トニーの住む世界はベイリッジという、ブルックリンでも指折りの移民街で、その多くはヒスパニック系、アラブ系。
ブルックリン=労働者階級の街、逆にマンハッタンは洗練の極致であることを象徴している画だ。ブルックリン橋はトニーたちから見れば、マンハッタンを隔てる「ベルリンの壁」のようなものなのかもしれない…。

ディスコでは「顔(フェイス)」と呼ばれ、幅をきかせていたが、一歩社会に出れば、道を開けてくれる人など誰もいない。このままじゃ、この環境から一生抜け出させない。何も得られず、何処にも行けずに一生が終わる。周りの不良仲間たちは皆、それが運命だと観念し、耐えなければいけないと思い込んでしまっている。

一方、同じブルックリンで生まれながらもそこそこインテリで自立し、マンハッタンで働きながら将来設計を持つステファニーは、トニーから見ればまるで「別世界の人間」のようで、トニーの現実を厳しく指摘する。
「単なるペンキ屋の店員で週末にディスコで金を使い果たし、両親と暮らす生活に価値があるのか」と。
この時、トニーは怒りの表情を見せる。
それはトニー自身も理解していること、ペンキ屋で生涯を終えることを望んではいないからだ。

そして、中盤、自分をなじる父親に対して嘆き怒り、トニーが言い返した言葉「褒められたのは人生で2回だけだ!ペンキ屋で昇給したことと、ディスコで踊っている時だけだ!」。
今、自分が存在している証はその二つしかなく、そんなジレンマに苛まれている自分がもどかしくて仕方がないのだ。

本作はトニー以外にもコンプレックスを抱え込んだ人物ばかりで、しかもその心情を我慢して吐き出さない者、吐露してもそれを真剣に受け止めてくれる相手がいない者がほとんどだ。
そんな彼らの心中を推し量らせるかのようなカットが、物語の横軸として時折盛り込まれていく。

カレン・ゴーニー演じるステファニーは、人を見下すヒドい性格の鼻持ちならない嫌なオンナに見えるが、実のところ、根っからのハイソサエティーではなく、見栄を張ってまで、自分の限界を打ち破ろうとしている。

何とかトニーを振り向かせようと頑張るアンネッタ(ドナ・ベスコー)は、スクエアだという印象から逃れようとするあまり、行動が常識から逸脱していってしまう。

そして、カトリック教徒の家庭ゆえに自慢の息子扱いだったのに神父の修行からドロップアウトした途端、親から白い目で見られてしまうトニーの兄フランク(マーティン・シェイカー)。

恋人が中絶を拒否し願わない結婚を迫られ、人生が台無しになると悲観する不良仲間のボビー(バリー・ミラー)。

サブキャラ一人一人がいろんな面や特徴を持っていて、彼らの中にある「弱さや自惚れ」を炙り出すことで、観る側に共感させたり、自身と重ねるように促しているのだろう。

だが、初見時、中学生ながらも、ジョン・バダムの演出法、ノーマン・ウェスクラーの脚本に大きなウィークポイントがあると感じてしまった。

まず一つが、本作は、ほぼ全篇を主人公トニーから見た視点で描かれている点。異なるのは、トニーがやって来るのを待っていたり、立ち去るトニーの後ろ姿を見送るアンネッタや、ボビーの表情といった2、3カットだけ。
そのため、虚勢を張り続けるステファニー、神への信仰心を失った兄フランク、承認要求が強過ぎてヤケになるアンネッタ、絶望に苛まれていくボビーといった大事なサブキャラが一人ぼっちになり、その本心(=自分)を曝け出す場面が何一つ描写されることがないのだ。

また、深刻な場面の次に、ダンスやユーモアのあるシーンへと場面転換することが頻繁で、正直、観ていて唐突感は否めないし、「長い人生、その一日にしたって、辛いことや楽しいことが永遠と続くのではないのだから、実生活に基づいた構成なんだ…」と、ジョン・バダムからその狙いを後日インタビュー記事で説明されても、凡そ2時間の映画の中で、こう散文的にエピソードを盛り込まれたら、観る側が物語に没入することは随分ハードルが高いと思わざるを得なかった。

これは、本作が1976年6月、ニューヨーク・マガジンに発表された13ページの特集「Tribal Rites of the New Saturday Night(新しい土曜の夜の部族儀式)」、作家ニック・コーンがニューヨーク中のディスコを渡り歩き、そこに集まる若者たちの生態を紹介したルポルタージュを原作としていることが大きな要因だろう。
[注:ただし、ニック・コーンは90年代半ばに、記事の内容は彼の創作であったことを告白。イギリス人の彼はニューヨークのディスコ文化を全く知らず、トニーに当たる人物は彼の知り合いのイギリスのモッズをモデルに作られたらしい]


正直に申せば、初見時の印象は後味の悪い、モヤモヤ感を拭えないものだった…。

しかし、歳を重ねながら、何度目かの再見時、とある映画と見比べることによって、「サタデー・ナイト・フィーバー」の真の主題を理解することになる。

それは本作の前年に公開された「ロッキー(76年)」。

スタローン演じるロッキーは、三十路に入る年頃。
今のままではボクサーとして大成せず、借金取りのチンピラで一生が終わってしまうと、本作のトニーと同じように、アイデンティティを見失い、未来に希望が持てないでいる。

勝手な考察になるが、両作共に、ベトナム戦争の終結、ウォーターゲート事件、カウンターカルチャーの後退、オイルショックによる不景気など、当時のアメリカの若者の挫折感を表した作品だ。

「ロッキー」がゴミと廃墟で荒廃したフィラデルフィアをそのままフィルムに収めたことによって、「自由と幸福を求めて作られた町がなんでこんなになってしまったのか?」とアメリカ人の観客に抱かせつつ、ニューシネマ的な「かっこ悪い男」がきわめて個人的な理由で能動的に戦いに身を投じ、「ヒーロー」へと成長する物語だったのに対し、本作「サタデー・ナイト・フィーバー」は、ニューヨークに同居する貧富差の激しい二つの地区を照らし合わせながら、社会の底辺から抜け出したくてもその術が判らない、動きたくても怖くて動けない、大人でもない19歳という微妙な年齢の「焦燥感や矛盾」を描いた物語なのだと、遅れ馳せながら気付かされた訳である。

本作の終盤にして、トニーはようやく、「自分は狭い世界に生きている」と気づく。
人生最悪の夜を過ごしたあと、グラフィティだらけの地下鉄に一人乗るトニー。
背景に流れるのは「How Deep is Your Love/愛はきらめきの中に」。

「君はどれだけ深く僕を愛してくれる?/真面目に僕は知りたいんだ/なぜなら、僕らはがっかりさせるような愚か者の世界に住んでいるから/僕らがしたいようにさせて欲しい/そうなれば、僕らは二人のままでいられる…」というサビの歌詞が、あたかも天からの啓示の如く、トニーの頭の中に響いたのか、何かに目覚めたような、ハッとした表情を一瞬だけ見せる。

「自分はまだクソレベルの人間かもしれない…でもほんの少しだけマシになったのかも」と理解したかのように。

このトラヴォルタのクローズアップは、観ている自分の実生活と照らし合わせることが出来た、劇中、唯一シンパシーを感じえたワンショットだ。

本作は70年代末期のアメリカの中産市民、その若者たちの実像=ちゃんとした「根っこ」のある作品と言えるだろう。

世の中に閉塞感を感じても、一歩踏み出せば、何かが変わりそうな時代だったのかもしれない。
「バカをやめる」のも大事、でもたとえ愚かに思われても「やりたいことをやる」のも大事…そんなことも学べる、自分にとってはちょっと貴重な作品なのである。



最後に…

本作「サタデー・ナイト・フィーバー」は、イタリア系移民の家庭を丁寧に描いた作品とも言える。

劇中、夕食時のテーブルで、父親とのちょっとした口論によりトニーが頭を叩かれたことを端緒に、父親が今度は母親の頭を小突き、次に母親がトニーの妹の頭を叩き、それを石のように固まって只々傍観するだけのオバアちゃんという、笑っていいのか黙って見入るべきなのか、困るシーンがある。

オヤジに叩かれて「せっかくセットした髪が乱れる!」というトラヴォルタのアドリブの台詞も最高だが、印象的なのは夫にぶたれてシュンとなって涙を流すお母ちゃんの姿。

これはイタリア系家族が持つ長年の習慣・伝統を感じさせるシーンで、普通、父・夫=家長というイメージが強いが、イタリアの場合、お父さんは外でフラフラしていて、それに代わってお母さんがしっかりと「家」と「家族」を守る文化が根強くある。(本作のトニーのお父さんは失業中で、さらに肩身が狭い…)
イタリア映画でよく観る、イイ歳こいたオトナの主人公が「マンマ〜!」と母親を大切にするシーンは、まさにそれを象徴しているわけだ。

またトニーの家庭は、カトリック家族であり、その信心深さを本作ではフォーカスしている。

ヨーロッパからアメリカ大陸に先ずやってきた英国系やドイツ系がプロテスタントだったのに対して、後からやって来たイタリア系やアイルランド系は主にカトリック教徒。このため彼らは先住者からすれば“ヨソ者”扱いで、労働者階級に押し込められ、ブルックリンに住まざるをえなかったのである。

そんな先人たちの苦難を知るトニーの両親が子供に願うこと、それは神父になること。そのアンチティーゼが、息子が夜遊び(=ディスコ)に行くことだ。長男のフランクはその期待に応え、母親に大きな喜びを与えたが、神父を辞めると決心しその思いを告げた時、両親は打ちのめされてしまう。「最悪の事態が起こった!家族の恥だ!」と喚き散らす始末…。
老後のために子供を医者にしたがる親が仮にいたとしたら、トニーの母親は子供が神父ならば天国に行けるとでも思っていたに違いない。


あと、ホントにどうでもいいハナシだが…

冒頭、ピザ屋で注文した際、店員から「トニー、何枚?」と尋ねられ、答えたトニーの劇中での最初の台詞、「Two. Give Me Two. That’s Good (2つだ!2つでいい!)」を、劇場公開から3年後の1981年4月、テレビ朝日系列「日曜洋画劇場」でTV初OAされた際、郷ひろみが吹き替えた「ふたちゅだぁ、ふたちゅくれなきゃあ〜」の強烈さ・恐ろしさは、未だに記憶から消しさることが出来ない(笑)。