こやさマン

アメリカン・サイコのこやさマンのネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・サイコ(2000年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

ステータス至上主義とアイデンティティ確立、その間に立つ。
他人に間違えられることは不愉快だけど、同じような外見、同じような話題。でもわざわざ訂正はしない。そもそものアイデンティティが揺らぎすぎている。

「パトリック・ベイトマンという概念はある
抽象的な概念は だが本当の俺というものは無い
存在は有るが幻影のようなものだ
俺は冷たい眼差しを隠せる
握手には喜んで応じるし 手と手が触れ合った時
俺とはどうやら気が合いそうだとまで感じるかもしれないが
俺はそこにはいない」

重たいメッセージと表情に対して明るいBGM

日本人がフェイシャルマッサージとネイルケア

サブリナは黒、クリスティは白

秘書?ジーン
コートニーが顔の好きなメンヘラ

人を殺すシーンが、ちょっとコメディなの

僕の痛みを人に負わせたい、

鏡の自分を見て恍惚な様子なの結構怖い

本当のサイコパスなら、自分の犯した罪に苛まれることはないのでは?そういう自白します?

殺人が本当だとして、全員が第三者に興味がなく、自分にしか興味がない、だから全員サイコなのか?不動産の対応、どうしてベイトマンを騙すようなことをした?

半分は妄想だと思うけど、それは重要なことではない。
猫のシーンが決定的に、視聴者が見せられている映像に揺らぎを与えている。ベイトマンが行ったことのすべてが現実ではない。チェーンソーを階下へ投げて殺すシーンも、上手くいくようには思えない。
ベイトマンは他者に認識され、評価される以外に自分の価値を見出すことができないのでは?
存在価値と機能価値。父親が社長なところは伏線ではなかったのか?

自分ですら自分を完全に理解することはできない、他人ならなおさら。それでも他人に理解されること、承認されることを望む。叶えられない痛み。
他人と関わることは痛みを伴うが、それでも関わらなければならない。

「僕の痛みは鋭く 永久に続く よりよい世界など望むものか
この痛みを他人に味わわせてやる 誰も逃しはしない
でも僕は何のカタルシスも感じない
僕は罰を受けることもなく 自分のこともわからないまま
僕の言葉など誰にも理解できない
だから こんな告白など何の意味もない」

名刺に価値を見出すステータス至上主義。

https://film-tales.com/american_psycho_movie_breakdown/#02

https://note.com/nushimo_novel/n/nf2d6cd77d76e
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