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ウェンディ&ルーシーのmasatのレビュー・感想・評価

ウェンディ&ルーシー(2008年製作の映画)
2.9
またも“他愛もない話”、されど、驚きに満ち溢れている日常を拾う。
インディペンデントの至宝と呼ばれるケリー・ライカート、慣れれば、ホント、オモロい。

そんな彼女も、ここで運命的な出逢いを果たす。
映画史上に燦然と輝く監督と女優の運命の出逢い、その瞬間を観る。

スティーブ・マイナーのC級ホラーの端に居た女優、ミッシェル・ウィリアムズが、実力派女優へと邁進し、ついにフリップ・シーモア・ホフマンやサマンサ・モートン、キャスリーン・キーナーらと肩を並べ始めた頃に選んだのがこの作品。
前作『オールド・ジョイ』(06)を観て、熱烈にアプローチしたと言うのだから、驚きも一入。両者共に期待に応える、なんでもない話を生み出し、そして、こんなちっぽけな話が、あまりにも辛い“(すべての)世界”を映し出したかの様なマジックが湧き上ってくる。
素朴ながらも、これが映画の正しい力なのだ、と実感した。

そんな女子二人を、微笑ましく見つめるエグゼクティブ・プロデューサーのゲイの才人が、これまた効果的な役割で、“2008年の今!生み出さなくてはならない映画!”と信じ、加担しているのも、なんと微笑ましいことか。

この映画の一番の魅力は、ヒロインが誰なのか?が全く説明されないことだろう。
こんな地味臭く、面白味のない日常的風景に始まりながら、それは(彼女の何かは)もう始まっており、どうしてこうなったのかを説明しないまま、ある数日を切り取っただけで、終わりもないまま終わり、この後の展開も全く予期出来ず、目の前を過ぎ去って行くのみ、なのだ。
ただ、目的もゴールも解らない彼女の、この時の感情だけは、そのにはっきりと遺っていた。

“ブルーバレンタイン”“マリリン”や“サラ・ポーリー”前夜、意識が芽生えたミッシェル・ウィリアムズの“顔”を観よ。そして、あの『ミークス・カットオフ』(10)で絶頂を迎える二人の“前夜”が、眼の前に拡がり、至福の時を過ごせます。
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