あなごちゃん

パリ、テキサスのあなごちゃんのレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
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深夜に書いた長文です。女性蔑視に対して思っていること。結構ガチで書いたので読んで欲しいです。

風俗に通いながら風俗嬢をこき下ろすオヤジが嫌い。デリヘルを呼んだらホテルに自分の娘が来たという話が笑い話としてあるが、実は全ての娘を持った男がこのしがないオヤジであると私は思う。お前が女を軽蔑し性欲処理として使う限りお前の娘も誰かに軽蔑され性欲処理として使われているんだ。

男は女をダッチワイフと妻と二分割している。ダッチワイフを軽蔑しながら性欲処理をし、妻とは一切性欲処理をしないという行為によって両者を共に軽蔑する。自分の妻は清純のまま保ちつつ、他の女の清純さを奪おうと、妻を性対象から外し他の不埒な女を求めて彷徨う。女を性欲のない妻と性欲のあり余っている女と区別して見ている。
女は妻でありダッチワイフだ。妻もダッチワイフであり、ダッチワイフも妻であり、娘はダッチワイフであり妻でもあるのだ。女を二分割し別物だと思っている男の思考が、女に清純派という型を与え、かつ一旦与えた清純という型を再度奪うことで女の尊厳を傷つけてる。女は清純でもなくギャルでもなく、女であることを知れ。

かくいう私の中にもオヤジ精神があることに最近気づいた。AV嬢を憐れみ、週刊誌の広告を見ては下着姿で笑っている子の親を想像して憐む。私も同類だ。軽蔑しながら見物して、憐れみながら性欲処理には使うオヤジと一緒。

男尊女卑社会の矛盾にイラつき、なんで化粧を毎日しなきゃいけないんだ、なんで歳を取ると劣化すると思い込んでいるんだ、と思うが知らないうちに男の女性蔑視を内包していたことを知る。女が男よりも外見の美しさや若さに翻弄されたりするのも全部性から来るものなんじゃないかと最近思う。男の性への欲望と、男に好かれるために忠実に男の欲望を再現する女によって、女は苦しんでいる。

映画の内容に触れていませんが、子供の母親を見つける旅に出て、母親を見つけるも、妻が娼婦になったことに葛藤する男に女を妻と娼婦に二分割する思考を感じました。どうしても誰かに伝えたくて長文です。深夜に書き殴った感想なので言葉が荒いです。